2014年8月2日土曜日

教師が子どもに

教師が子どもに弾き方を教えるときに、「〇〇のように」弾く、柔らかく弾く、といったコトバが用いられます。

これは、形式としては「例え」に属するコトバです。

しかし、弾き方を教授するときには、実質的指示を意味するコトバです。

教授効果が認められるので世界中で用いられています。

さて課題があります。

第一に、コトバはコトバであり、決して音ではありません。

第二に、子どもが教師の指示を教師の意図する通りに理解した場合、そこに再現される音とは何を意味するものであるかということです。

前者については、以前徹底して考えたので省略します。

後者については、古賀メロディーの悲哀表現をギターと歌詞とで再現する子どもや、コルトレーンの枯淡の表現を再現する子どもの例があります。つまり、悲哀なのか悲哀もどきなのか、枯淡なのか枯淡もどきなのか、です。

でも、モーツァルトが神童とみなされた理由の一端には、高い演奏技術があったといいます。

渋い表情でジャズを奏でる子どもの演奏家が、悲哀のような枯淡のような音をもたらしても、それは、「かのような」の範囲内で成立する価値です。「かのような」でもふつうはあまりありえないことなので、神童、と評価されるのです。

ウズナーゼ心理学

ドミトリー・ウズナーゼ派の心理学のことを想起しました。

「構え」に重点をおいた心理分析でロシア心理学の中でひとつの流れを形成していたものです。

弾く前にヴィルサラーゼ氏が黙然として音に想念を走らせます。

あるいは想念を模した何ものかが音として結実します。

2014年7月30日水曜日

ヴィルサラーゼ氏のモーツァルト

最初、You tubeで視聴しました。

かつて一度だけ録音を聴いたことがあり、このたびCDを一枚購入しました。

残響を抑えた音です。モーツァルトの音に、特に緩急の繰り返しの中での「緩」の箇所に省察の過程に似た推移への落とし込みが見受けられます。

しなやかな強靭さが音の粒の中にあると言い直してよいと思います。

これはぬかっていました。私の不勉強です。

2014年7月2日水曜日

グリモー氏のモーツァルト・アダージオ

室内楽団に取り囲まれて弾いています。

夜、この音に聴き入るひとときを持つことができて、しあわせです。

2014年5月12日月曜日

プロコフィエフ自作自演

プロコフィエフの音です。

聴き始めたばかりですが、10曲ほど小曲を聴いていて、この人物の覚知していた音の性質がわかるように思いました。

良い耳を持つ人だったのでしょう。

2014年5月10日土曜日

1979年のポリーニ

1979年のポリーニ氏によるロンドンライヴを聴きました。

良いです。

ふと思いましたが、短調のファンタジーが、明るい音色のために、曲調変質をみるような気もしました。

2014年5月4日日曜日

ポリーニのモーツァルトソナタ

1980年代の初め頃のロンドンでのライヴです。

モーツァルトの本質をどのように見極めるのか。

ウィーン流のやり方とも異なります。

装飾音が独創的で豊かです。面白いものでした。