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2021年8月27日金曜日
2021年8月3日火曜日
2021年7月25日日曜日
マリア・ユーディナによるチャイコフスキー協奏曲
この曲は、ロシアの古くからある俗謡をもとにできたものです。
したがって、既知の価値がそこにあると前提して、曲の構成を「アンソロジー」の形式に集約して見せてよいのです。作曲者の意図がそこにあったかどうかは不明ですが、演奏家における解釈は、そうあることができます。
ユーディナさんは、解析的に音を並べます。そして、楽団のテムポに合わせるところでは合わせています。遅速変化の統御が、ソリストの工夫の中心です。
ナタン・ラフリン指揮キエフ・フィルでした。
2021年7月19日月曜日
ミケランジェリによるモーツァルト20番協奏曲
1988年の心臓発作で倒れたのちに、復帰の際の曲として用いました。うたいながら練習し、実際に公演に臨みました。
晩年には、できるだけモーツァルトを弾きたい、と考えていたようです。
2021年7月18日日曜日
2021年7月15日木曜日
モーツァルトのピアノ協奏曲21番の第2楽章
ここには、「還ってきた」という実感がいつもわきます。
ひとは、ブラームスの交響曲第1番の第4楽章にそれを求めることもあるでしょう。
あるいは、ドヴォルザークの新世界交響曲の調べにそうすることもあるでしょう。
アンダンテ・カンタービレの人もあるでしょう。
わたしは、この第2楽章が好きなのです。いま、リパッティ、カラヤン、ルツェルン音楽祭楽団で、聴いています。聴く機会を得てよかったです。
2021年7月13日火曜日
2021年7月11日日曜日
1ケ所で、リヒテルを賞賛するルフェビュール
これは、内実を確認したかったところです。両者はずいぶん異なります。
ルフェビュール、リパッティ、フランソワ。
ちなみに、アントルモンのことをリヒテルは否定していました。ここからは別の話になりましょう。
2021年7月5日月曜日
ギレリスのシューマン「アラベスク」
わたしの師匠は、ギレリスの演奏が国際派、という俗称を得ていたことを、当然の評価であると考えていました。ベルギー、カナダ、アメリカをめぐって修道生活をしていた人物ですので、自らの経験と知識とに基づく判断でしょう。
このシューマンの録画は、アラベスクというヨーロッパ中心主義の否定的契機の表出である曲を、「ロシアの」立場から「ロシアにおける異国情緒」の感覚を残して演奏することに該当するのでしょう。タタール主義への感覚です。
面白いです。
2021年7月2日金曜日
棋戦譜
棋譜は、反転させることができます。しかし、これは本物の反転ではありません。このことは、楽譜にある音符を逆行するときにも同じことが言えます。時代は変わっていて、録音をさかさまにたどることが可能ですが、音の列は音符の順に楽譜通りに反転させても、ニセモノの反転にしかなりません。
アンドレイ・タルコフスキーは『鏡』を創作するときに、このことに気が付いていたはずです。そして、より直接の認識は、セルゲイ・エイゼンシュテインにおいて得られていたはずです。
2020年5月20日水曜日
ピアノ補遺
高橋悠治氏
高橋アキ氏
2020年3月29日日曜日
2019年12月9日月曜日
asyncの再検討
非同調の採用、あるいは無意識的に発生する非同調の認識に注目したコンセプトであったと思います。
この視点を、高島直之氏の説く、「芸術の不可能性」と並存させてみるとしたらどうなるか。
武蔵野美術大学出版局による高島氏著『芸術の不可能性』の内容紹介は、以下のとおり。
前衛芸術が生まれた19世紀末から20世紀初頭は動乱、革命、戦火の時代だった。1907年のキュビスムのセンセーション、1909年の未来派宣言、1916年チューリヒ・ダダを嚆矢とする世界的なダダ・ムーブメント、1924年ブルトンによるシュルレアリスム宣言。1930年瀧口がブルトンの『超現実主義と絵画』を訳出して以来の、中井、針生、岡本、中平へと続く前衛芸術受容の日本的困難と屈折を、社会的事象とともに論じる。
やはり外国語は翻訳ではなく、外国語で読み込むのが受容の基礎であり、また、「日本」という限定的風土からの脱出の契機もそこにあるのではないかと思います。