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2021年7月2日金曜日

棋戦譜

棋譜は、反転させることができます。しかし、これは本物の反転ではありません。このことは、楽譜にある音符を逆行するときにも同じことが言えます。時代は変わっていて、録音をさかさまにたどることが可能ですが、音の列は音符の順に楽譜通りに反転させても、ニセモノの反転にしかなりません。


アンドレイ・タルコフスキーは『鏡』を創作するときに、このことに気が付いていたはずです。そして、より直接の認識は、セルゲイ・エイゼンシュテインにおいて得られていたはずです。

2015年11月29日日曜日

Sound Effectの存在

いわゆる効果音です。

すぐれた映像作品、ラジオ番組にすぐれたSound Effectが存在してきました。

その量と質とはあまりにも豊富で、われわれは、その総体を把握することができません。

SF作品の映像には、それにふさわしい音が使われてきたのです。

あとの時代に新たに生まれてくる音は、そのようなものの経験の上に立っているのです。

2015年11月28日土曜日

Alva Noto氏の新作

Xerrox, Vol. 3が届きました。

待望の新作です。

ところで、宇宙の音というもの宇宙音というものを我々は数限りなく耳にしてきていますが、実際のところ、宇宙の何に関する音が基礎となっているのでしょうか。

宇宙船の中での音の聞こえ方や、NASAで受信される音の聞こえ方。良く考えてみると、現象学的に音の実際を収集することを私は怠ってきています。

さて、Xerrox, Vol. 3は11曲。圧倒的な音です。

待った甲斐がありました。

2015年11月19日木曜日

映画『人間の証明』の音楽

映画『人間の証明』の音楽は大野雄二氏によるものです。

公開当時は、映画館で観ることができませんでした。

社会人になってから観て、音楽が気に入りました。

2015年11月10日火曜日

リュック・ベッソン

ずいぶん多くの作品が我が国でも紹介され、紹介されるたびに観ています。

息の長い監督ですね。

2014年11月24日月曜日

1970年のモスフィルムチャイコフスキー伝記映画

イーゴリ・タランキン監督。

曲想と伝記的事実とを組み合わせてあります。

その作業には無理が伴いますが、結果は比較的穏当なものとなりました。

2014年8月29日金曜日

概要(2011年11月18日)

生きるものは、はかない。そのはかなさに抗して、はかなさではない何ものかを確認しようとする。

生と死の価値の再認識は、確認の過程と確認を通過した後のどうしようもないはかなさへの立ち返りの過程をそれぞれ意識的にたどることだ。

生の再認識も、死の再認識も、いずれはかなさの圧倒的な力に引き戻される。

人は常に重力を受けている。いずれ地に伏すべきことを約束する重力を。


このことを、既出のタルコフスキー論に合わせても、宗教論に合わせても、音楽論に合わせても根本の課題は変わらない。

2014年8月27日水曜日

ロシアの大地に根差した叡智

タルコフスキー監督の『鏡』は子の視線から見た母の像の集成であるとされています。

しかし、背後に監督の父、この人は詩人ですが、詩も使われています。

まことに、そこにロシアの大地を再構成する基本単位があります。

2014年8月26日火曜日

時の再構成

時の再構成の問題に立ち返ることになります。

歴史の歴史学的見直しについては、アナール学派の仕事が名高いものですが、まず史家の通常の歴史構成に対して、もっともはげしく抵抗したのは文芸批評家の小林秀雄氏だったでしょう。

小林氏は歴史の再構成には死んだ子どものことを思い出してやまない母親の精神が必要であることを主張し、さらにはベルクソンの時間論にならって、時の分岐点でOからAにすすんだ移動は、実はOからBにすすむこともできたものだ、といった可能性の並存を否定しました。

アナール学派の仕事に比較して、さらに付け加えるべき条件は、人の認識や言葉の獲得の過程での社会性の反映についてです。人は社会の中で社会的に認識を豊かにしていきます。学習を前提として持たない認識の発達はありえません。

タルコフスキー氏が、映画製作の中で呈した時の再構成の具体的方法には、必然性個別性と社会性とが両立されていました。これはロシアの大地に根差した叡智であったと言えると思います。

2013年12月13日金曜日

坂本氏の新作CD一枚

坂本龍一氏の『RYUICHI SAKAMOTO Playing the Orchestra 2013』を手に入れました。

とても美しい音楽が13曲収められています。

わたしは「Rain」が好きです。映画ラストエンペラーの中で皇帝の周囲の人間の中でただ一人自由を獲得する第二夫人のテーマでした。

そんな劇の筋にもふさわしいし、映画から離れて独立した音楽としても切迫感あふれる展開の端々がキラリと光っていてこたえられません。

おすすめです。

2013年7月28日日曜日

音と音

それでは、この録音は開放へと向かうのでしょうか、それとも切迫へと向かうのでしょうか。

わたしは、全く同じ問いを別の世界で立てたことがあります。

黒澤明氏の『隠し砦の三悪人』の終局部。

裏切り御免、からの一連の急展開が、遂に三者の揃い踏みで舞台転換して閉じます。

ここに、これは開放であるか、切迫であるか。

2012年3月29日木曜日

例えば

コクトーの映画音楽はどうだろう。

効果音の延長としての音や音楽をより精妙なものに変えた。

オーリックらが協力した。

不安の音は、ベートーヴェン流の荘重なものばかりではない。

2012年3月25日日曜日

エイゼンシュテイン『イワン雷帝』

名高い十字架行進のテーマには、ハープが使われている。

2012年3月11日日曜日

キネマ旬報

「キネマ旬報」は、情報検索でしか用いたことが無い。

特集のシナリオ集を一度だけ購入した。

ブラック・スワン

映像は常に音楽とともにある。

それはロシアの音だ。

チャイコフスキーの音が白鳥の退場を以て終結する所を、その退場の意味を少し増幅して精神の運動の努力が「ここ」から「どこか」へと出て行く様を映像上の退場としたのだ。

ささっとくくって説けば、そういう風に逃げた。

したがって非常に低劣な動機であるのに、バレリーナの精神崩壊の表現が身体運動と表情しかも美しい表情との二段構えで成立するので、一発逆転、見事なエンディングとなっている。

俗なのに美しい。信じられない展開であると思う。

ありがたいこと

我が国の映像分析の専門性とは何か。

昭和年間の映画批評から始まる。

「方法」の意識を移入したのは、文学者たちである。

文芸雑誌や劇評専門誌における表現の発生はやがて、映画の専門家と映画誌とを生む。

「映画の友」と「スクリーン」。

さらに専門誌で「映画史研究」。

2012年3月10日土曜日

レコードマンスリー

その昔、レコードマンスリーを愛読していた。

その頃、週刊FMも読んでいた。

この二誌から受けた影響は大きい。

そして、大木正興氏、渡辺学而氏。

2012年1月31日火曜日

七人の侍

これは、まず音楽の世界から。

変拍子がはいった。

テーマ曲には李香蘭氏による歌詞付きの音源がある。

菊千代による回想の場面、老婆の扱い。

この2つが難題で、随分と時間をかけたのを覚えている。

ちなみに『白痴』では、これらのモチーフがもっと厳しいので、要注意だ。

原節子氏の所在が森雅之氏の表現を埋める。

映画監督というもの。おそろしい仕事だ。

1992年に久しぶりに先輩と会い

ソラリスの主題において顕著なのは、父性なのか、母性なのか、という議論をした。

海による幻影の中で、それは虚実いずれの世界にあってか、主人公は、父親のまえにひざまずく。

さて。

惑星ソラリス

人形が、壁を突き破る。

その前後の分析が、現象としての核心部分だった。

赤坂近辺の高速道路の一連の静かな展開は、なんだか、「ご褒美」だったような気がする。