秋月禅学が狙った、瀧澤氏の「不可分、不可同、不可逆」についてです。
また、野口米次郎氏の論考『寫樂』、『詩の本質』に取り組むこととなりましたので、しばらくお休みです。
2020年5月20日水曜日
2014年11月16日日曜日
ベンヤミン=アドルノの書簡集より
野村修氏の訳によります。
「哲学の課題は、現実性の隠された志向や現前している志向を探求することではなくて、志向をもたぬ現実性を解明することである。」
これはアドルノの言葉をベンヤミンが引用しているのですが、クリスチャン・フェネス氏の音にも当てはまると思います。
「哲学の課題は、現実性の隠された志向や現前している志向を探求することではなくて、志向をもたぬ現実性を解明することである。」
これはアドルノの言葉をベンヤミンが引用しているのですが、クリスチャン・フェネス氏の音にも当てはまると思います。
2014年9月8日月曜日
ヴェルトフライハイトと主の栄光
3種類のヴェルトフライハイトについて。
学問は現実に直接に関与すべきではない。
学問が独立した価値を保有するからこそ、学問を根拠とする者は積極的に現実に関与しなければならない。
学問の到達した真理を一掃する政治的選択の自由を確保すべきである。
主体が信仰者であるのならば、すべては主の栄光に相関します。
学問は現実に直接に関与すべきではない。
学問が独立した価値を保有するからこそ、学問を根拠とする者は積極的に現実に関与しなければならない。
学問の到達した真理を一掃する政治的選択の自由を確保すべきである。
主体が信仰者であるのならば、すべては主の栄光に相関します。
2014年9月6日土曜日
友人
今でもなお客観化できないのが、亡友の志を語るコトバです。
「希望が潰えたんだよ。」と言いました。
それは、学生たちの中にある真実を求めようとする意志の堕落についての話題だったのです。
病人が病気であるとします。その病気であるということには、不摂生や暴飲暴食やいろいろな原因があるでしょう。でも、根本的には、原因があるからといって、その人間が病気にかかることは、本人に責任があるものではないと思います。
彼は病弱でしたが、身体を鍛えていました。それなのに、若くして死んでしまいました。今でもたまりません。私は、理解者を一人失い、また、自分の仕事について方針転換をしなくてはならなくなったのです。
それは、多くを彼に依存していたからでした。彼が引き受けている守備分担の世界は彼に任せておけばよいので、自分はそうではない領域の住人であれば済むと思っていたのです。
ついえたんだよ。それは、いずれついえないように頑張った者にもおわりをもたらすものでした。
「希望が潰えたんだよ。」と言いました。
それは、学生たちの中にある真実を求めようとする意志の堕落についての話題だったのです。
病人が病気であるとします。その病気であるということには、不摂生や暴飲暴食やいろいろな原因があるでしょう。でも、根本的には、原因があるからといって、その人間が病気にかかることは、本人に責任があるものではないと思います。
彼は病弱でしたが、身体を鍛えていました。それなのに、若くして死んでしまいました。今でもたまりません。私は、理解者を一人失い、また、自分の仕事について方針転換をしなくてはならなくなったのです。
それは、多くを彼に依存していたからでした。彼が引き受けている守備分担の世界は彼に任せておけばよいので、自分はそうではない領域の住人であれば済むと思っていたのです。
ついえたんだよ。それは、いずれついえないように頑張った者にもおわりをもたらすものでした。
2014年8月30日土曜日
さて、ロゴスのありようとは別に(2011年12月28日)
西田哲学以来、主客合一の延長はすでに我々の手に入った。
そして、「主」とは交渉を持たない、価値の自発的形成が次の対象となった。
さらに、「主」の方も自発的「発生」の過程をたどって形成されたのではないか。
神は最も優れた人工的造形なのか。
価値の自発的形成。
受容者の自発的「発生」。
宗教学における現象学。
一般心理学における主体の確定。
そして、「主」とは交渉を持たない、価値の自発的形成が次の対象となった。
さらに、「主」の方も自発的「発生」の過程をたどって形成されたのではないか。
神は最も優れた人工的造形なのか。
価値の自発的形成。
受容者の自発的「発生」。
宗教学における現象学。
一般心理学における主体の確定。
2014年8月29日金曜日
概要(2011年11月18日)
生きるものは、はかない。そのはかなさに抗して、はかなさではない何ものかを確認しようとする。
生と死の価値の再認識は、確認の過程と確認を通過した後のどうしようもないはかなさへの立ち返りの過程をそれぞれ意識的にたどることだ。
生の再認識も、死の再認識も、いずれはかなさの圧倒的な力に引き戻される。
人は常に重力を受けている。いずれ地に伏すべきことを約束する重力を。
このことを、既出のタルコフスキー論に合わせても、宗教論に合わせても、音楽論に合わせても根本の課題は変わらない。
生と死の価値の再認識は、確認の過程と確認を通過した後のどうしようもないはかなさへの立ち返りの過程をそれぞれ意識的にたどることだ。
生の再認識も、死の再認識も、いずれはかなさの圧倒的な力に引き戻される。
人は常に重力を受けている。いずれ地に伏すべきことを約束する重力を。
このことを、既出のタルコフスキー論に合わせても、宗教論に合わせても、音楽論に合わせても根本の課題は変わらない。
2014年8月3日日曜日
子どもの自己中心的言語
ピアジェの命名した子どもの「自己中心的言語」の重要性はすでに児童心理学の世界で十分に認識されています。
これはいずれ内言へと変化する発達段階の一過程および一様態を形成するものですが、音の学習に関してはまだ解明されていないことを課題として残しています。
音を演奏するという行為は、内に向かって考え続ける過程と、外に向かって他人に聞かせるために働きかける過程と双方を含んでいます。
そもそも教師が子どもにある指示を与えて子どもが指示に従った振る舞いをすることが可能になった瞬間に、子どもは次のステップに向けての成長を始めるので、そこでは内化される過程が存在するだけではなく、内言に似た世界の中で価値が独り歩きを始めるのです。音によって表現可能な領域が広がります。
あるいはこうです。通常の言語に関しては、外言→自己中心的言語→内言の過程を把握していれば言語発達の過程についてはある程度の議論ができます。しかし、音についての認識は、言語の外に音という実体化したモノを併存させているために、演奏者一般は、この言語と音との相互補完の現実を意識しなければ対象化できません。音だけで「考える」ことができますしね。
言語における認識や表現とは異なる音における認識あるいは表現があるのであって、音があるときには外言に相当し、あるときには自己中心的言語に相当し、あるときには内言に相当して、それらの間にある境界は言語の場合に比べて不分明です。
さて、自己中心的言語に相当する音とは?
これはいずれ内言へと変化する発達段階の一過程および一様態を形成するものですが、音の学習に関してはまだ解明されていないことを課題として残しています。
音を演奏するという行為は、内に向かって考え続ける過程と、外に向かって他人に聞かせるために働きかける過程と双方を含んでいます。
そもそも教師が子どもにある指示を与えて子どもが指示に従った振る舞いをすることが可能になった瞬間に、子どもは次のステップに向けての成長を始めるので、そこでは内化される過程が存在するだけではなく、内言に似た世界の中で価値が独り歩きを始めるのです。音によって表現可能な領域が広がります。
あるいはこうです。通常の言語に関しては、外言→自己中心的言語→内言の過程を把握していれば言語発達の過程についてはある程度の議論ができます。しかし、音についての認識は、言語の外に音という実体化したモノを併存させているために、演奏者一般は、この言語と音との相互補完の現実を意識しなければ対象化できません。音だけで「考える」ことができますしね。
言語における認識や表現とは異なる音における認識あるいは表現があるのであって、音があるときには外言に相当し、あるときには自己中心的言語に相当し、あるときには内言に相当して、それらの間にある境界は言語の場合に比べて不分明です。
さて、自己中心的言語に相当する音とは?
2013年12月9日月曜日
心性が阻害する
こころの時代、という表現だと、無限の懐かしさと安らぎに直結してもいいでしょう。
しかし、経済のあり方がほとんどの基礎を決定するときに、経済の安定的な推移を妨げるのは、まず人々の心性です。
準備をさんざん重ねて努力して、大きな壁となるのは、人の心、人々の心です。
この働きの性質を徹底して分析して解体して、乗り越えることが必要です。
なかなか理想的な解が出ないものです。
しかし、経済のあり方がほとんどの基礎を決定するときに、経済の安定的な推移を妨げるのは、まず人々の心性です。
準備をさんざん重ねて努力して、大きな壁となるのは、人の心、人々の心です。
この働きの性質を徹底して分析して解体して、乗り越えることが必要です。
なかなか理想的な解が出ないものです。
2013年12月7日土曜日
2013年6月9日日曜日
ヴィゴツキーの軛
ヴィゴツキーには、活動に対する制約が幾つかありました。
そのうちの一つは、彼が真理の追究者であったのに対し、当時の学問の世界、社会、政府は、これら三者それぞれにとって必要な価値基準にかなう研究内容しか流通することを認めようとしなかったことです。
いま彼の没後80年近くたって、この歴史的制約は一切存在しません。
それで?
この四半世紀のあいだ、わたしは、わたしたちにとって必要な対象が、今は存在しない彼の視野の延長上に切り開かれることを前提に、さまざまな領域にわたる数多くの対象の点検を積み重ねてきました。
とても充実していたと思います。
大抵の場合、追究の対象とその対象の分析から導き出されるなにものかは、時系列にそってあとからやってきます。
しかし、世間の時の流れとは相違して、先に、その対象の分析から導き出されるべきなにものかが、その形姿をあらわすことがありました。
ここがヴィゴツキアンにとっての独特の現象です。
そのうちの一つは、彼が真理の追究者であったのに対し、当時の学問の世界、社会、政府は、これら三者それぞれにとって必要な価値基準にかなう研究内容しか流通することを認めようとしなかったことです。
いま彼の没後80年近くたって、この歴史的制約は一切存在しません。
それで?
この四半世紀のあいだ、わたしは、わたしたちにとって必要な対象が、今は存在しない彼の視野の延長上に切り開かれることを前提に、さまざまな領域にわたる数多くの対象の点検を積み重ねてきました。
とても充実していたと思います。
大抵の場合、追究の対象とその対象の分析から導き出されるなにものかは、時系列にそってあとからやってきます。
しかし、世間の時の流れとは相違して、先に、その対象の分析から導き出されるべきなにものかが、その形姿をあらわすことがありました。
ここがヴィゴツキアンにとっての独特の現象です。
2013年2月10日日曜日
ライサ・マリタンにはじまる
ベルクソンの講義によってライサ・マリタンは希望を見出したといいます。
わたしとは順番が違うのだなと思いました。
ベルクソンはまず沢瀉久敬氏による紹介から読みました。10代のころで、明快で簡潔な表現と思考という論旨がベルクソンというよりも医学校で講義する哲人沢瀉氏の風貌を強く示していました。
確か同時並行で白土三平氏のサスケ、カムイを読んでいたのです。
ベルクソンの岩波文庫本と古本屋さんで買ってきた選集の数冊とで、わたしは遊んでいました。それは、あらかじめ、楽しめることがわかっていたからです。
わたしとは順番が違うのだなと思いました。
ベルクソンはまず沢瀉久敬氏による紹介から読みました。10代のころで、明快で簡潔な表現と思考という論旨がベルクソンというよりも医学校で講義する哲人沢瀉氏の風貌を強く示していました。
確か同時並行で白土三平氏のサスケ、カムイを読んでいたのです。
ベルクソンの岩波文庫本と古本屋さんで買ってきた選集の数冊とで、わたしは遊んでいました。それは、あらかじめ、楽しめることがわかっていたからです。
2013年2月3日日曜日
2013年1月14日月曜日
シモーヌ・ヴェイユ
この人も20世紀の信徒です。
兄上が数学で達成した整合性を、この人は思想と行動の一致において達成しました。
そのリゴリズムは我が身を燃やしつくす献身でありましたが、行動によって検証された思想は普遍的な価値をたたえています。
兄上が数学で達成した整合性を、この人は思想と行動の一致において達成しました。
そのリゴリズムは我が身を燃やしつくす献身でありましたが、行動によって検証された思想は普遍的な価値をたたえています。
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