2019年12月9日月曜日

asyncの再検討

『美術手帖』の2017年5月号の坂本龍一氏の特集を読んでいます。

非同調の採用、あるいは無意識的に発生する非同調の認識に注目したコンセプトであったと思います。

この視点を、高島直之氏の説く、「芸術の不可能性」と並存させてみるとしたらどうなるか。

武蔵野美術大学出版局による高島氏著『芸術の不可能性』の内容紹介は、以下のとおり。

前衛芸術が生まれた19世紀末から20世紀初頭は動乱、革命、戦火の時代だった。1907年のキュビスムのセンセーション、1909年の未来派宣言、1916年チューリヒ・ダダを嚆矢とする世界的なダダ・ムーブメント、1924年ブルトンによるシュルレアリスム宣言。1930年瀧口がブルトンの『超現実主義と絵画』を訳出して以来の、中井、針生、岡本、中平へと続く前衛芸術受容の日本的困難と屈折を、社会的事象とともに論じる

やはり外国語は翻訳ではなく、外国語で読み込むのが受容の基礎であり、また、「日本」という限定的風土からの脱出の契機もそこにあるのではないかと思います。