2013年9月24日火曜日

教材としてのテキスト

文学の世界での表現は、読者に読まれ、理解されることを前提として存在しています。

もし、理解しにくい読者がいるのならば、その理解を助けることが教育行為(教授行為)の大切な機能となります。

これはテキストを読み込み可能なものに変化させることと同等です。

また、交換可能なものに変化させると言い直しても良いです。

2013年9月23日月曜日

還元の方法

解釈学、現象学、分析哲学、記号論、意味論。

この5つの路線がありました。

1985年

説明の相手によって、説明の仕方も内容も多少変化します。

教職員予備軍の人々向けといたしましょう。

1985年に研究者仲間の間で意見交換の場がもたれました。ちょうどわたしは小林秀雄氏の『感想』研究を終えたところだったので、次に何をやるか決めかねていた頃でした。

当時東京大学の中で隆盛だったシステム論の中でどの部分を受け持つかということだったのです。

友人の一人が、「君は関心の対象と表現の方法にほかの者にはない特徴があるから『テキストの読み込み可能なものの集約』をやったらどうか」と言いました。

このことを少しかみくだいて説明すると、通常日本語でつづられているテキストは、そのままの形式では、一般的な式に還元できないのです。記号化、英語化できないといってもよいでしょう。

また、日本語による表現の含む比喩の働きには、まだ解明されていない内容があるのです。特に文壇と呼ばれる我が国の表現世界でのギルドには独特の隠されたルールがあって、それを知らないと、文字通りの表面上の意味しか把握できません。

端的には「批評の意味がわからない」という具体的な現象を招くことになります。これはプロの文筆家でもあちらこちらで誤りをおかしているもので、批評の批評は難しい、という結果をもたらしています。

ここからの出発でした。

2013年9月18日水曜日

プロコフィエフのフルートとピアノのためのソナタ

マリーナ・ヴォロシュツォーヴァとリヒテルとの演奏です。

美しいものです。

2013年9月13日金曜日

アルヴォ・ペルトの『フラトレス』

BSの番組でオーストラリア室内管弦楽団の演奏でやっていました。

ペルトの演奏も徐々にひろがってきました。

親和性の問題でしょう。

2013年9月11日水曜日

しぬびの話から少し離れると

バッハの管弦楽組曲は4本あります。

私は断然第2番が素晴らしいと思います。

でも、それがなぜかということはとても難しいです。

40年以上聴いてきて、うまく説明できません。

笛が自由を得ているところでしょうか。

2013年9月10日火曜日

しぬび(高橋悠治氏)

今では第一曲が好きです。

三曲録音があって、この曲がわたしには一番しっくりくると思うのです。

半年ほど聞かないでいて、聴き直しをしたところ、第一曲が浮かび上がってきました。


尺八をベースとする曲の創作に対して、まず最初に聴くときの驚きがあります。

それは、文字通り驚きなので、どこに何が吹奏されるかは予想不可能です。

繰り返して聴くと、聴覚は感覚の楽譜を予定するようになります。

そうして音に馴染んで初めて受け取ることになる曲の総体があります。
 

2013年9月8日日曜日

ムラヴィンスキーのラヴェル「ボレロ」

レニングラード・フィルハーモニー。1953年。60年前の音源です。

ロシアバレエにもふさわしい、押し出しの強い曲調となっています。

管楽器がすばらしいです。