2014年9月26日金曜日

Christian Fennesz氏の

クリスチャン・フェネス氏のベーチュを購入しました。
 
タワーレコードです。
 
楽しみです。

2014年9月25日木曜日

ホルショフスキーの絵葉書集

ミェチスワフ・ホルショフスキ(Mieczysław Horszowski)の絵葉書集を購入しました。

付録に、ベートーヴェンとモーツァルトの協奏曲集とショパンの演奏が付いていました。

ベートーヴェンは協奏曲第1番。静かなものです。

2014年9月15日月曜日

人情ものとは何か

人情ものとは何か。

江戸は夷斎先生に一任す。

現代に生きる人情ものは能、歌舞伎といった古典芸能からテレビ時代劇にいたるまで、手をのばせば届くところにいくらでもあります。

時代劇文庫というものが、昭和の頃にはあって、ずいぶんと読ませてもらいました。

映画の原作を研究する必要からです。

最近の時代劇の考証を云々する人々がいます。

わたしはあわせて、人情ものの小説が気になります。

小説の世界で一般にとおる流儀というものがあって、それは必ずしも考証に依存するものではありません。

まず読んで見られよ。読んで読んで読んでみられたい。

2014年9月9日火曜日

フランクとバッハ

バッハのオルガン曲を録音で聴いて聴いて、そのあとにセザール・フランクを聴きます。

フランクの重厚さは、バッハの呈する基礎とは「異なる」ものをも基礎としています。

2014年9月8日月曜日

ヴェルトフライハイトと主の栄光

3種類のヴェルトフライハイトについて。

学問は現実に直接に関与すべきではない。

学問が独立した価値を保有するからこそ、学問を根拠とする者は積極的に現実に関与しなければならない。

学問の到達した真理を一掃する政治的選択の自由を確保すべきである。

主体が信仰者であるのならば、すべては主の栄光に相関します。

2014年9月6日土曜日

友人

今でもなお客観化できないのが、亡友の志を語るコトバです。

「希望が潰えたんだよ。」と言いました。

それは、学生たちの中にある真実を求めようとする意志の堕落についての話題だったのです。

病人が病気であるとします。その病気であるということには、不摂生や暴飲暴食やいろいろな原因があるでしょう。でも、根本的には、原因があるからといって、その人間が病気にかかることは、本人に責任があるものではないと思います。

彼は病弱でしたが、身体を鍛えていました。それなのに、若くして死んでしまいました。今でもたまりません。私は、理解者を一人失い、また、自分の仕事について方針転換をしなくてはならなくなったのです。

それは、多くを彼に依存していたからでした。彼が引き受けている守備分担の世界は彼に任せておけばよいので、自分はそうではない領域の住人であれば済むと思っていたのです。

ついえたんだよ。それは、いずれついえないように頑張った者にもおわりをもたらすものでした。

 

2014年9月4日木曜日

ヴィクターの100年音源のCDで

ヴィクターの100年音源のCDで尺八を聴いています。

素晴らしいです。

2014年9月3日水曜日

対立と矛盾

一休宗純は、ある日坐禅のあと厠へいき、鴉の声を聞いて悟ったといわれます。

そして、お前の了見は羅漢程度だと問う師匠に対して、羅漢に徹する。羅漢で結構と返答しました。

この対立と矛盾がないと、一切は前に進みません。
 

2014年9月2日火曜日

コンドラチエフに対する否定

コンドラチエフに対する否定。

これが近代的自由です。真理を断言する知性の営みをわたしたちは尊重します。

一方で、それを否定することができます。

真理の否定、という極端な言挙げにいたしてもよろしいです。

2014年9月1日月曜日

青ざめるコンドラチエフ

青ざめるコンドラチエフ。

資本主義の再生と循環の波が地域的濃淡を呈する。

その幸運な極点が我が国に訪れるのだろうか?


今、さまざまな根拠あるいは根拠と称するものが、台の上にさらされている。

それらの真偽を見極めたうえで、我が国のために考えつくさねばならない。

そして、それはどのジャンルについてもかわらない。