2012年12月31日月曜日

師匠憤慨す

「平成」の元号に対して、わたしに最も近いところから苦情が出ました。

師匠が不機嫌なのです。

師匠は戦前の植民地である台湾で青春時代を過ごした人なので、アジア各国の人々の発言には敏感です。

平成の言葉のなかに明治、昭和同様「刃」を意味する漢字が含まれていることに、漢字文化圏に暮らす人々から遺憾である旨のコメントが出たというのです。

透視するに、平定・成敗ということだったのでしょうか。

わたしは、師匠に指摘されるまで全く気が付きませんでした。

国家の安寧秩序の維持

国家の安寧秩序の維持のために、その国家の基礎単位である諸々の社会は一応それぞれの立場において、具体的な方法や目標を設定します。

1868年前後に近代化をスタートさせた我が国がなんとか今日までその維持を可能にしたことの理由の一つに、江戸時代以来の儒学、国学の思想を実践的、実際的に改変して応用した倫理規範を立てることが可能であったことが挙げられるでしょう。

しかし、それは、絶対的にかつ正確に安定した規範であった訳ではありません。

もっとも、このことに対しては反論もあって、絶対的だった、あるいは正確だった、あるいは安定していたという評価もあります。

水戸学。元号制定に関与しています。始祖は水戸黄門氏です。

報徳会。こちらは二宮尊徳(金治郎)氏のお弟子さんたちの方ではなく、日露戦必勝の国策運動から継続した派閥の方です。

第二次世界大戦で敗北してしまい、ポスト昭和の段階ではどうなるかと我々は見守っていました。

結果として、「平成」が生れました。
 

2012年12月23日日曜日

道徳教育と宗教教育

日本の学校教育における道徳、倫理教育では宗教教育は禁じられています。

これは公教育の中立性を確保するためです。

世界のさまざまな国では、公教育であってもその中での宗教教育の在り方には多彩な基準が見受けられます。

宗教に共通する倫理的価値規範を教育内容に持ってくる場合もあります。


努力目標として、どこかで、何等かの形で、さまざまな民族、宗教の違いをこえて、対立を防ぐ教育が成立すれば良いと思います。

2012年12月21日金曜日

1957年スプートニク・ショック

ソヴェト教育の隠れた先進性にようやく日米ともに気づきました。

この直後から2回にわたる我が国の学習指導要領の改訂は、科学教育との生き残りをかけた勝負でした。

学ぼうとしない者は遂に学べないし、学んでもそのありがたさに気付かない者は量・質ともに教育課程を破壊したりします。

不況におちいってからの我が国の政治システムに教育に対する無理解と軽率なふるまいがあって、どのようなことになったのかは皆よく知るところです。

 

2012年12月20日木曜日

ピアジェ コントラ ヴィゴツキー

両者ともに弁証法を念頭に置いた推論を手掛けていたことがわかっています。

しかし、ヴィゴツキーには教授-学習過程での教育が持つ積極的な役割が視野にあります。

教授学における先進性がピアジェとは異なる軌跡をたどっていたのは、 弁 証 法 と は
 関 係 の な い 地点においてです。
 

2012年12月18日火曜日

弁証法の随伴

おおまかに描いてみて、まず弁証法は自然の中から見出された帰納的結果としての法則性を特徴とします。

次に、それは様々な学問の傍らにある価値判断のための比較基準です。

最後に、今以降の未来にかかる価値発展の保証の根拠です。

これらが、学問史の中にあらわれます。

顕著なのが、ソヴェト時代のロシアの学問における意味です。

自然法則、価値基準、発展保証いずれにしても学問を取り扱う者にとって強い意味を持っていました。

2012年12月16日日曜日

ピアジェらの立場は

実験心理学の実証に裏付けられた推論は、クーンらの演繹的推論を上回るとするものです。

少し待ってほしい。

弁証法の過程を実際の発生論にあてはめることは、まず先に演繹的推論の成果を必要としているのです。

もうひとつ、パラダイムの進展に際しての本質的緊張の問題があります。

こちらの方がより実験心理学のような実証性を必要とするものなのです。

一度、ピアジェとクーンの双方を現象学的還元にかけないといけません。

さらに、このピアジェの最後の共同研究は、要検討対象だと思います。

 

2012年12月15日土曜日

という形でお茶をにごすわけにもいきませんね

ピアジェにしても本当のねらいはそこに記述されているものには限らないので、

「内」から「間」へ、ついで「超」へとむけた移行

均衡化

と2つのメカニズムについて考えるときに、実証性を随伴させて、すなわち自身一生の研究成果を背後に控えてものを言うのです。

ここに研究成果のはらむイメージが先行して存在していなくてはなりません。

 

2012年12月14日金曜日

ピアジェの晩年の研究に

弁証法的発生論についての共同研究がありました。

ヴィゴツキーのことをちらと思いました。

前提はどちらなのでしょう。弁証法は先なのか後なのか。

ピアジェVSヴィゴツキーという比較は最後までスリリングだったような気がします。

2012年12月13日木曜日

人は倫理的価値を共有することができるのか

道徳教育の目標は、さまざまな種類の倫理的価値を複数の人間が立場の違いをこえて共有することにあります。

同一のあるいは類似の立場に立つ人間同士が価値を共有することにではありません。

前者と後者との間には、難度に格段の差があります。

2012年12月11日火曜日

教育の世界

何が健康の度合いを示しますか。

「教師は、一日やったらやめられない」といった小学校の先生がおいででした。

奥さまも小学校の先生でした。

好きで好きでしょうがない仕事として教職があるということが唯一絶対の基準でしょう。

2012年12月10日月曜日

教育科学は

教育に関する一連のものの考え方が本当に科学を根拠としていることをどこまで実感できているかにかなり左右されるのだと思います。

ウシンスキーはその『教育的人間学』の中で、技術と科学とを混同している場合が如何に多いか、といいます。

教育は本物の科学によって基礎づけられていなくてはなりません。

オーギュスト=コントは、諸科学は天文学にならうべきだと説きます。

これは、彼の時代にあっては、天文学こそが真の科学であったからです。

2012年12月9日日曜日

教育学とはなにか

教育学というものは単なる心理学の延長や応用ではあり得ません。

つまり、教育学には教育独特の教授-学習過程があって、近接の諸々の科学は、この過程に溶け込み消化されることによって、初めて意味あるいは意義を持つ形式で機能し始めるのです。

これは、生理学(20世紀のはじめにはおもに反射学)などについても言えることです。

わたしは、父が運動生理学者でしたので、このあたりの呼吸が非常に納得できるかたちで理解できると思ってきました。

ロシアといえば

音と学問。

良いところがはっきりとしています。

それが特徴でしょう。

今、言語学者アレクセイ・レオンチェフ編集の『ヴィゴツキーの語彙』を読んでいます。

少々かわった趣向で、土壌学(児童学あるいは教育学)、心理学、障害学等のさまざまな用語について、編者の記憶に残るヴィゴツキーの特徴的な発言、記録を並列してあるのです。

良いところがはっきりとしています。

それが特徴でしょう。

2012年12月4日火曜日

ここまで読むのだ読めるのだということ

 ともに対象となる文章を読もうではないか、と誘って一気にその文章の表すものに参入することが、語学教育の第一の動機でしょう。

ポドテキストの解明とシステム論の構築とがともに実現されるのですから、いきいきと働く本人の精神が水を得た魚のような活躍を示すのです。

一昨日からジャック・シュヴァリエの『ベルクソンとの対話』を訳本で読んでいます。

魂と精神の問題が様々な角度から問われるのです。

オールド・ファッションもなかなか良いですね。
 

2012年11月20日火曜日

長広舌

おしまい。

今、日本には

87CLOCKERS』というコミックがある。

まだ序盤だから、この先どうなるかわからないが、コンピューターの機能を、冷却装置を用いて極限まで上げて行く若者たちの物語だ。


1980年代の基礎工学の講義は「bit」のlog定義から始まった。

2010年代の基礎工学はどこから始まるのだろう。


ポドテキストの解明は集約されざる世界の意味を、確実に縮小していく。

それは、文学や音楽などの芸術にとっては、「自由の獲得」にもあたる。


自由を獲得するためには、それを妨げる障碍を取り除く作業を必要とする。


ここだ。ここが焦点だ。

 

2012年11月19日月曜日

システム論にあっては

システム論にあっては、言葉や音のポドテキストは、光による影あるいは本体にまとわりつく陰翳ではない。

ポドテキストは、その対象を可能な限り最大限に拡張するものだ。

これを拡張におおわれていく側から表現すると、もれなく悉皆万象がこの拡張に参入するのだ。

システムとして言葉や音をつむぐことは、拡張の義務を果たすための作業でもある。

解釈は、これもまた義務である。

2012年11月18日日曜日

活字と音符と

活字と音符とそれらのポドテキストが、われらの心を奪う。

より精確な表現としての詩語

ポオの『構成の原理』は面白いけれども、少しあやしげであった。

ヴァレリーやリヴィエールが志向したものが、より精確な表現であったとして、それが詩語構成のための詩学にまで濃縮されるには、詩人による意図された企画が必要となる。

マラルメやヴァレリーによる企画は、コトバの通常の役割を詩人本人及び詩人の創作を待っている読者の納得できる水準にまで特殊なものに改変することにあった。

では音に近似する詩語の効果はどこにあるのか?

詩そのものの中にある。

活字は音符なのかなあ。

そもそも

主語なき現象学というものはあり得ない。

けれども主語なき詩学はある。

2012年11月17日土曜日

いうまでもなく

音には主語がない。

時間ならば変化であって、変化は必要条件である。

しかし、変化は必ずしも十分条件ではない。

汎時性は「肘は外には曲がらない」という条件を傍らに置いている。

ヴァレリーが純粋詩=絶対詩の成立条件を音の世界になぞらえたことも、フッサールが内的時間意識の現象学に音の世界を引用して「把持」の実態を究明したことも、主語がないことの条件下では異相を呈してしまうのだ。

吉田氏流ではない。

和流の一般的性質なのである。

 

心底に複数の層があり

一方から一方へと移行する。

本当のものがあって、そうではないものから本当のものへと移行する。

抜け出す口のない意識が、あるところから開放される。

日本語はどうか。

縁語にしても掛詞にしても、最初からポドテキストの中で、複数の回路への移行の可能性が予め設定されている。

行き詰まったハムレットの心境は、論理における相互矛盾の意識の袋小路から、日本語独特のあいまいな中間的揺籃の往還の世界において、緩和されてしまうのだ。

2012年11月16日金曜日

或る時にはハムレットを

To be or not to be, that is the question.

この台詞には主語がある。

そして話者の奇異な立場や心境を示す。

話者の決断を否定している。

また、話者の存在を否定している。


しかし、主語を省略することの多い日本語の世界にとっては、この「奇」がさほど「奇」ではない。

2012年11月15日木曜日

日本語の特徴

主語省略可能という点を挙げておこう。

2012年11月14日水曜日

Alva Noto氏の問題

氏は16年ほどプレハブ工法の仕事に就いていたという。

わたしは、今トポロジーについて学習している。

吉田健一論の問題

吉田氏はおそらく大学時代までの間に現象学の手法を知っている。
 

「自然と純粋」の敷衍

河上徹太郎氏の「自然と純粋」を吉田健一氏は敷衍する。

昭和17年10月號『批評』。

「近代に於る純粋の観念に就て」。

表現が「自然」であるのならば、ポドテキストとしての「純粋」があるのだ。

そして、吉田氏のたとえによれば、そのポドテキストの豊富さこそが、我が国の表現の背後にある認識=行為性の「伝統」の価値なのだ。

ここから出発しているので、吉田氏のことを小林秀雄氏が「あいつはものにならない」と断じても、その「あいつ」が持っている志向性があらわにならないのである。

2012年11月12日月曜日

純粋詩あるいは絶対詩

純粋詩あるいは絶対詩の所在を示唆するために、ヴァレリーは音楽を引き合いに出す。

「生起する一個の楽音はそれのみを以て能く全音楽的宇宙を喚起する。」

2012年11月11日日曜日

音の生成

詩人は術語あるいは数学の実現を図る。

音はどうか。

音はコトバとは異なる陰翳を擁する。

音のポドテキストподтекстはすみやかに夢を生み、ときにはそれを成就する。

2012年11月5日月曜日

吉田健一著『変化』より モーツァルトについて

「変化と慌しいのは従って対立する二つのものとも考へられる。どういふものでも、或はどういふことでも目立てば意識の平常の流れを乱すから慌しくてそれ故に新しいものばかりを追つてゐる人間は忙しい思ひをする。又目立つ程まだ新しいものは一般の変化並になるに至つてゐない変化であるからその形も定まつてゐなくて新しいことがそれが未完成である証拠になる。

併しモツァルトの音楽はそれが作られた時には新しいものに響いたに違ひない。」

このあとにモーツァルトの音楽の本質の一端が説かれている。それは省略。

少しあとで、こうある。

「詩も充実も詩人も世界で普通に行はれてゐる変化を乱さない点ではモツァルトの音楽と変りがない。」

さらに少し離れてこうある。

「モツァルトとショパンでそれが作つたものが何れも音楽であることに掛けて変りはなくてただ同じ音楽である上で違ふに過ぎずその違ひは聞いてゐれば解つてその何れも我々にとつて価値をなしてゐる。又それは自分の心を預けるに足りるといふことで或る種の光線を受けた山肌も我々の心を奪ふ。」

 

2012年11月4日日曜日

ふたたび、音の偏在

そして、類似の、また同時に相異なる音がいたるところにある。

「汎」の一字で表すことができる。

吉田健一氏の晩年の表現スタイルは言わば、「汎時性」であると高橋英夫氏が評した。

それが音ならばどうか?

評言を組み替えなければならない。

『思考の表裏』

ヴァレリー、ブルトン、エリュアールの三人がからんだ書物。

これにならうと、先の言明は組み替えられる。

「愉しみの時を選ぶことは出來ない。とくに精神が欲するだけでなく、魂や肉體が要求し、又既にその輪郭を大體描き出してゐる時に味ふことが出來ることはない。それは作曲家の意思に非常に有力な優越性を與へることである。何故なら、それは作品をしてその産れ出た所の、生きた世界と殆ど違はない世界などは一つも存在しないことを証すものだからである。音楽藝術家の仕事は、それが作曲家であれ演奏家であれ、音樂の中には、最高度の美的製作の本質的條件は唯一性であることを自ら見出さねばならない宿命を示すものである。」

一方で、ベンヤミンやアドルノには複製技術について問うことができるだろう。

ヴァレリーと音楽

「聴覚の世界に関しては、音や、響や、聲や、音色が、今後我々の手の内にあるのだ。」(河上徹太郎氏訳)

これは、録音のことだ。

「愉しみの時を選ぶことが出來ること、しかも精神が欲するだけでなく、魂や肉體が要求し、又既にその輪郭を大體描き出してゐる時に味ふことが出來ること、それは作曲家の意思に非常に有力な機會を與へることである。何故なら、それは作品をしてその産れ出た所の、生きた世界と殆ど違はない世界に蘇らせるやうなものだからである。音楽藝術家の仕事は、それが作曲家であれ演奏家であれ、此の録音された音樂の中に、最高度の美的製作の本質的條件を見出すのである。」

音の偏在。

 

2012年10月24日水曜日

吉田秀和氏の最後の試み

リートなどの歌曲集を、自分の気に入った録音を集成してCDにし、解説をほどこそうとしていた。

宣伝のための文章を読み、そこに出版記念講演会の日程が出ているのを認めた直後に訃報に接した。


NAXOSがリストやシューベルトなどの歌曲集を出していて充実していた。

これを客体化して、歌詞の曲との調和の妙味をひとしきり楽しんでいたので、吉田氏の試みは面白そうだと思っていた。

2012年10月22日月曜日

一番聴いた録音

いままでに一番多く聴いた曲は、はっきりとしている。

バッハの管弦楽組曲第2番だ。


ここに回帰し、ここから動き始めるような気がする。

2012年10月21日日曜日

La nuit

知り合いから貰った標記のCDを聴いている。

全15曲で、ボーイ・ソプラノとフルートとオルガン演奏。

フランク、モーツァルト、バッハ、シューベルト、フォーレ等選曲良し。


ところで、声は一意に定まった音なのだろうか。

ヴァレリーは、音楽の中には一足飛びにひとの理想に到達する完全なものがあると観たのだが、完全を期さない音の中にもひとの理想の達成がある、また、完全、の概念を人の表現の多様性、多層性に求めて拡張することも必要なのではなかろうか。


ということだ。

 

2012年10月20日土曜日

次の課題は

言葉、言葉、言葉、そして沈黙。

間、の問題。

2012年3月29日木曜日

音は

音は過不足なく、音として結晶する。

作られた時代や状況から影響を受けてしまい

音に対する感覚が狂ったとは思えない。

根本的な二義性がある。

もし、深刻な不安ではなく、深淵をのぞかせる精神の理想だったとしたらどうだろう。

例えば

コクトーの映画音楽はどうだろう。

効果音の延長としての音や音楽をより精妙なものに変えた。

オーリックらが協力した。

不安の音は、ベートーヴェン流の荘重なものばかりではない。

2012年3月28日水曜日

柴田南雄氏

北園克衛による「三つの詩」。

抒情だという。

曲や声に集中してみたい。

まず不安の要素をうたっている。

それならば、不安をきちんと拾って対象とすることに耳はついていくのではないだろうか。


諸井三郎氏を思い出す。

戦時の作曲の内容は、はたして不安をも対象化したのだろうか。


わたしは「対象化した」と思っていた。

二つ記しておこう

一つは、早い時期に「末期の眼」についての定見を持つことだ。

もう一つは、もっとも軽い意味でのダンディズムを維持することだ。

この二つが決して別々のものではないことが、おそらく本当のところだと思う。


それにしても、河上氏にとっては、黙っておこうと思ったことを、説くのも説かぬのも同値なのではないだろうか。

そこが厳しい。

「第一の批判者は、営々たる仕儀の中に学問の価値の応用を認めた。
したがって、学問の方法を用いなかった。」

ここでもとに回帰するのだ。

2012年3月27日火曜日

借問する

河上氏における、無とは何か。

答えた者の手柄である。

禅って

ゼンゼンわからないんですけれど、と河上氏は言った。

従って、無、は禅学、あるいは西田哲学系の概念とは無縁だろう。

河上徹太郎氏の揮毫

「無」というものがある。

2012年3月25日日曜日

エイゼンシュテイン『イワン雷帝』

名高い十字架行進のテーマには、ハープが使われている。

「諸井三郎とその門下の音楽」

KING RECORDS X TOWER RECORDSから出ている。

聴いていると、いままで諸井氏の音に対して抱いていたイメージが、実に貧弱だったことがわかった。

洗い直しだ。 

2012年3月23日金曜日

心貧しき者

「心貧しき者 ひとり新しき 途を拓く」(河上徹太郎氏)
本当に新しき途だった。

では、諸井三郎氏はどうだったのか。

音楽家ならば音楽だ。

なぜ作曲の活動を停止したのか。

何かをわたしは読み落としているのだろう。



2012年3月22日木曜日

飛鳥新書ボードレール著『赤裸の心』

ボードレールの意識的な努力は、彼の生きた時代の現実の克服のためのものだった。

悲惨な醜悪な対象とそれを表現する言葉が集積されることによって、評言は行為と化し、克服の手段となると考えたのだ。

河上氏はそこを先ず説く。

ところがそれは表向きの話だ。

氏は精神を論ずる。精神は異なる複数のものを比較する所からそれらの本質をあらわにする。

氏が価値を論ずるとき、論ずるための前提としての補助線が引かれる。その引き方が鋭いのだ。

河上氏は晩年に至るまで、いたるところでカトリックとプロテスタントの精神の在り様の差異を示した。差異は打ち出される。しかし、本質の追求の成果や結果は記されない。

このような鋭い前提と慎重な沈黙とは、例えば三島氏や澁澤氏にも見られない種類のものだ。

わたしは、今でも思う。そもそも精神とは冷徹に比較できるものなのだろうか。

できる。それは河上氏の説くとおり。そして評言はある。しかし、慎重な行為となる。これもまた氏の示すとおり。

2012年3月20日火曜日

岩波文庫『ベートーヴェン音楽ノート』

最初、1793年5月22日に記された言葉から始まる。

「なにものにも優って自由を愛し たとえ玉座のかたわらにあっても 決して真理を裏切るな。」

まあ、心底はそんな人だ。

そして、その前にはシラーからの引用。

ただし、シラーは常に哲学的理念、哲学的価値体系と芸術創作との比較によって言葉を用いてその実相を明らかにし続けたが、ベートーヴェンにはそういう厳密な表現追求の癖はない。

2012年3月18日日曜日

学生街の蕎麦屋

3ケ月、平日は毎日蕎麦屋に通ったことがあった。

これは大きい。

2012年3月17日土曜日

大書店と餃子屋

大きな書店の近くには、必ずうまい餃子屋がある。

神田に限らない。

どこでもそうだ。

吉本隆明氏

大岡信氏について、大岡家の「家学」は実際どういうものなのだろう、と問題提起していた。

「歌学」のことだ。

この人ならではのセンス。



2012年3月15日木曜日

整理・総括

いままであちらこちらに書き散らしたものを整理してみる。

精神世界に関することはまだ出せない。

わが師は今では私を見てもだれだかわからない。

ベルギー、カナダ、アメリカで活躍してきた修業者が、認知症と二人三脚となっている。

機嫌のよいときには、唱歌やわらべ唄をうたうのだ。


うたは世につれ、世はうたにつれ。

2012年3月14日水曜日

丸善の統計表

丸善の統計表。

これがある家は、科学者の家だ。

他には、統計用紙(方眼紙)。

2012年3月13日火曜日

一杯のコーヒーから

作詞、藤浦洸。作曲、服部良一。

霧島昇とミス・コロムビアによって歌われた。

我が国の歌謡曲の中で、こんなものが発生したのは奇跡に近い。


服部良一氏の楽歴は元々洋楽である。

藤浦の長崎、服部の大阪、霧島の福島、ミス・コロムビアの北海道と、人々は日本中から集うた。

私見によれば、この曲が我邦の重心に位置する。

2012年3月12日月曜日

ビルボード

順位。

私はある時期まで、日本の歌謡曲についてのデータに執着していた。

英国と米国での洋楽の順位について知るに従い、自分は下りた。

あくまでも補足資料だと思うから。

2012年3月11日日曜日

キネマ旬報

「キネマ旬報」は、情報検索でしか用いたことが無い。

特集のシナリオ集を一度だけ購入した。

ブラック・スワン

映像は常に音楽とともにある。

それはロシアの音だ。

チャイコフスキーの音が白鳥の退場を以て終結する所を、その退場の意味を少し増幅して精神の運動の努力が「ここ」から「どこか」へと出て行く様を映像上の退場としたのだ。

ささっとくくって説けば、そういう風に逃げた。

したがって非常に低劣な動機であるのに、バレリーナの精神崩壊の表現が身体運動と表情しかも美しい表情との二段構えで成立するので、一発逆転、見事なエンディングとなっている。

俗なのに美しい。信じられない展開であると思う。

ありがたいこと

我が国の映像分析の専門性とは何か。

昭和年間の映画批評から始まる。

「方法」の意識を移入したのは、文学者たちである。

文芸雑誌や劇評専門誌における表現の発生はやがて、映画の専門家と映画誌とを生む。

「映画の友」と「スクリーン」。

さらに専門誌で「映画史研究」。

2012年3月10日土曜日

レコードマンスリー

その昔、レコードマンスリーを愛読していた。

その頃、週刊FMも読んでいた。

この二誌から受けた影響は大きい。

そして、大木正興氏、渡辺学而氏。

祈る日にあって

記憶から回帰し得た言葉はもはや何を物語ることもなかった。

そこには人の唇を通さない言葉だけがあったからだ。

言葉が始原をつくり、言葉が終りを締めくくる。

もし自然の中に人為の価値のみを抽出してよしとするならば。

さりとて祈りがないものでもない。

2012年3月8日木曜日

自らの想念を示しておくこと

寂然、という表現がある。

例えば、座禅陣を布くとする。

それは遂に、寂然から寂然を差し引いて、何もなくなることだ。


さびしい、という表現がある。

愛する人たちに自分のことを覚えていてほしいという気持ちがある。

人間はそういう点で、相異なる存在でありながら、似通っている。


静かな室内で、針の落ちる音がするとする。

それは壁に吸い込まれる音かも知れないし、しばらく、あるいはまるで永遠に続くような形で反響する音かも知れない。


音は、わたしという人だ。あなたという人だ。


本当の音楽は、わたしの想念をあなたに示す。

そのことに尽きて、モーツァルトの音は、技巧派の技巧を封殺せしめる。


そこで、一見自在になったはずの音が、実は自在ではないことに思いをはせるのだ。

いつの間にか現れるモーツァルト。

2012年3月3日土曜日

禅意識とクリスト者の意識

観想に常に立ち返ることを基軸とするのならば、習慣が一切を律する。

最初「個としての観想」と記そうとした。

観想は個を消し、または個を超える。そしてそのままに個である。


共感と共観。

ここらまでは基本だ。

生きること 記すこと 死ぬこと

これらは、すべてで一つであるといえる。

限定的な「相」に固定されることはない。


入矢氏はそのことを、修行者は「決して自己完結しない」と言表した。

2012年2月16日木曜日

じゃ。

じゃ、またね。

イエイツへの言及(4)

河上氏との対談。かなり酔っていた。

「時代が生き抜くということは、だれか人間がいるということでしょう。

イエイツというのがいたな。それで生き抜いちゃったな。

殉ずるのと生き抜くのとは、ちょっと違うでしょう。ずうっとあとの文学史からいえば、なんだか知らないけど、殉じる人たちと生き抜く人たちがいるに違いない。

だから自分が生きていたっていいじゃないですか。なにもそんなに死に急がなくてもさ……。」

イエイツへの言及(3)

「併しイエイツはこの詩で、必ずしもその鳥(金で出来た鳥)になりたいと言っているのではない。人間は生れた時に自然に従った形をしていて、やがてその銘々の精神が取るべき形をなすことに向って行くのが成長することであり、我々が遂になすに至る形が自然のものではないのは、人間の精神がもともと自然通りに働くものではないからである。その結果が、例えばビザンチンのモザイクに似て自然に反しているのは、それ故に初めから予定されたことであって、精神はそうしてその本性に違わない努力を重ねることで漸くその形を得る所まで行く。

Cast a cold Eye
On Life, on Death.
Horseman, pass by!

生きていることにも、死にも
冷い眼を向けて、
馬で通るものは馬を走らせて去れ。(墓碑銘)

イエイツは一つの詩よりも詩を書く仕事と、それをする自分に同じ訓練を施すのを、詩を不純にする道とは考えなかった。彼は詩人も人間であることを固執し通して、その作品が近代詩でも、作品とそれを書く人間の通常の関係を回復したかに見える。それは我々に洗練された象徴詩を書くことが長生きをして、広大な別荘や近所の茅屋で晩年を自適して過すことの邪魔にならなかった支那の詩人達を思わせ、そこにも英国の近代文学というものの性格が窺えるのである。」

イエイツへの言及(2)

「1925年

ここでただ一つの目的というのは、イエイツ自身が最も関心を持っていたアイルランドの独立であって、それを廻って起った内乱を扱った詩なのであるから、イエイツの心も石であってよかった筈である。彼の心が石にならず、石に堰かれても流れるものを感じることが出来たのは、彼が詩だけの世界に満足しないで、彼が彼自身であることを許す詩の境地に達することになったのと同じ理由から、一つの政治上の問題に対する執着で人間が人間であるのを止めること、或はその一つの方向にしか進めない人間になることを拒否した為であると考えられる。ここでも、拒否されたのは人間の分裂、及び分裂した人間のそのどれか一部に自分を限定することであって、このように詩人であることがはっきり人間であることである例は、近代では他にないと見てよさそうである。又、その為に詩的ではない、ただの言葉が詩になるので、それは努めて普通の言葉を使うこととも違っている。

言葉で詩を書く技術を完全に身に付けたことから、詩はその限りでは彼の外にあり、……、近代を前にして腰を据えて生きている人間が出現したということになる。

……従って彼がまだこれを書かない時と、書いた後で同じ人間だったとは言えなくて、その意味で彼はその結果であり、彼の方が先に来るのではなかった。併し同時に又、彼はこの詩を自分の前に置いてはっきり眺めることが出来た。」

イエイツへの言及(1)

『英国の近代文学』と『書架記』より。

「詩は統一。

言葉に沿った、頭に浮ぶ影像はどこへ行ったのか。

或ることの解決を望み、その目的を遂げて理解する。

仕事と自分の関係に就て銘々が自分の考えを持つことを強いられる。

ある仕事をする人間になり、又その人間である為には仕事の対象を愛するという種類のこととは別な、もっとその対象そのものを離れた理由を必要とする。

詩を表現する人間は人間であることに掛けて統一が取れたものでなければならない。

詩人は詩でその結果に接する前にその詩を書かなければならないので、それには分裂と混沌にも拘らず、彼が彼自身であることが必要である。

詩を書くことは言わば、詩人であるよりも先に詩の存在を自分に対して立証することから始めさせられる。

観念としての生命を得るのは、一人の人間と例えばその仕事の上で、抜き差しならない形で結び付いてであり、そういうものである限り、それは真実であって、我々の方はその圏外にあってそれを否定することは出来ない。英語に、或る言葉が真実に響くという言い方がある。

探る方向を充分に知るということ。

神話も自分の一部である。……何が人間にとって自分であるかの問題。

併しこれは、我々の精神のうちで行われる劇の形で繰り返されるので、我々はそれをただ見ているということは出来ない。そこにレダと白鳥がいることを通じて、我々は一つの事件が起るというのがどういうことであるかを知るのであり、それから生じる結果がその結果であって他のものでないのが宿命とか、法則とか呼べるものの作用ではなくて、その瞬間の選択によるものであることを、我々自身がそれをしたことに照して納得する。それは、我々がその何れの瞬間にも当事者であることであって、我々は次に何が来るかをその時にならなければ了解せず、これが重なってその凡てが或る一つのものになって行くのを感じる。今の瞬間が次のを生むので、それ故に例えば、

 How can those terrified vague fingers push

  The feathered glory from her loosening thighs?

の二行でも、詩の一節であるよりは行為であり、従って又それが詩であることを疑わせるものがない。

実際はどうだったのでも、こういう作品から後のイエイツは、ただ普通に言葉を並べるだけでそれが詩になったという感じがする。少くとも、彼が書いた作品そのものはそういう自由を示すもので、それは又、彼が題材の性質に頓着する必要がなかったということである。」

これを英文学講座のイエイツ購読の合間に読んでいたのを思い出す。


昭和33年8月 藤田小女姫(こととめ)氏との対談から

藤田氏は、占いの人である。

「ある具合に非常に納得するとその枠から出ちゃう。いわゆる仏教でいう涅槃に入っちゃう。イエツという詩人の詩からも何か思い当るフシがありますね。」

「ぼくは運命は神々の手にありというんです。ぼくはもう死ぬ年まできめちゃったんです。ぼくにも霊感があったんです。それはもうきまってるんです。だから仕事もきめちゃったよ。」

昭和33年、34年の頃に

吉田健一氏は、「もうやるべき仕事はすべてやった。」「あとは余生だ。」という台詞を吐く。

私が学生の頃のレポートのための記録が残っているから、公開しよう。

すべて、氏の言葉の抜粋だ。何かを感じて戴ければ幸いだ。

2012年2月15日水曜日

まじめな話だけだと

疲れてしまう。

ふまじめでなくても良いけれども、時々ダンスするとかね。

今日は乳母車に入っている二匹の犬をみかけた。

この間は、たくさん猫が乗っているのをみた。

移動が楽だから。

合理的だ。

2012年2月14日火曜日

河上氏ともあろう人が

かつて加藤氏が戦後の帝国大学新聞でこう語った。

言わせて残念、しかし、言われて名誉なことである。

加藤氏は、「知性の働きに蓋をしないで欲しい」と言ったのだ。

返す刀で、小林氏の働きも点検する。

演劇について対談し、晩年の小林氏の宣長論、白鳥論に並走し、自前の見解を提出した。

河上氏には、判っていたのだ。

この人は、前もってさまざまなことが判っていた。

加藤氏は、「なぜ、それを改革精神に差し向けないのか」と問うていたのだ。

さまざまな覚悟の形があるのだと思う。



2012年2月13日月曜日

大切なチョコを雨にぬらさないためには

食べてしまえばよいのだ。

林達夫氏は

「生のエレギアをうたうものはないか」と求めた。

エレギア=哀歌は、生のエレギアであれば、かならずしもエレギアの俗な形式をたどる必要はないのではなかろうか。

エレギアが、世の生の事実をより深く掘り下げ、同時にそこにはない在るべき何物かを描出するのであれば、それは楽しげであったって構わない。

フィクションがフィクションであるということが、つまり非・事実であるということが、生のエレギアにあっては、別の意味をクローズアップさせる。

「事実と真実は相異なり、非・事実が真実を指し示すことがある。」

悲劇を研究した古典学者ニーチェを棍棒で殴って、正気にもどさせるようなものだ。

言霊のはたらきは

飛躍とその補填を主とする。

これは、宗教学の基礎である当為命題の取り扱いの基礎でもある。

事実命題から当為命題への飛躍はいまだにそのプロセスが充分に解明されていない。

これからの人たちの活躍に期待する。

2012年2月12日日曜日

宗教と宗教文学

宗教にかかるさまざまな言説も、文学性を以て、そこにはない何ものかを現成させていく。

それは、事実の措定という一事に関しては、「虚偽」であるかも知れない。

文学の要諦

先日、おさない子どもに文学とは何か、という講義をした。
百人一首を用いた。

源氏物語では、主なき世界を描いた。
そこには、死んでしまって、その人はいない。

百人一首のもみぢの歌5首の中で、もっとも大切なのはをぐらやま、の歌。
そして、そこでは、今そこには居ない人を的確に詠み出すことが為し遂げられている。

ドストエフスキーでは、と次の講義をロシア文学にしようと考えている。

日本語の世界では、掛詞や縁語、係り結び、枕詞などなどで、言葉同士で、二重三重に意味を縛りあう。
たちまちにして、言葉をつむぐ側も、読み解く側も、別な言葉を補足していく。

それは、文学の本来持っている性質の一つである、今そこにはないけれども、そうあってほしい在り方を言葉で現成させていくプロセスと同じ志向性なのだ。

歴史的事実の措定

むろん、歴史的事実の措定を軽んずるのではない。

ただ、教会的価値の中では、文学性の持つ力が極めて有力であって、それをも日常の中で受け容れているのだ。

宗教的価値の扱いは、宗教が異なれば、互いに相矛盾する価値があり、大抵の場合、自らを重んじ、他を排除するものだ。

わたしは、その点において自他ともに対して出来る限り寛容でありたいと思う。

けれども、確かに矛盾はあるのだ。

聖伝と言い伝え

聖伝、というものがある。

そのように教会の中で言い伝えられているお話だ。

聖書に対して、現代では「聖書的表現」という判断による還元が必要であるように、聖伝の中にも文字通り信ずるだけでは、対応しにくいものもある。

歴史的事実の措定に、付加されるフィクション性、文学性が強い力を持っている。


また、習慣的な言い伝えもある。

例えば、病気や障害に苦しむ人間がいるとすると、生まれ変わるときには、その病気や障害が無い状態で生まれ変わる、とされる。

わたしも、今まで生きてきて、まったく服薬していないのはわずかに5年のみという情けない病弱な身体なのだが、これはうまくすると、「次には」そうではなくなるかも知れない、とされるのだ。

案外、それは信仰を支える力の一つであるかも知れない。

2012年2月6日月曜日

前回までで、一応完結しているので

余談。

わたしが占い師として生計をたてるとすれば、水晶玉をなでた途端、頭に布をまいた魔法使いかなんかでてきて、わたしがくしゃみをすると消えちゃう。

で、占いはどこへ行ったのか。わからない。少し弱気な占い師だ。

見料は取るけど、占いはない。そして、ツルっとして、ボワンとでてきて、ハクションで、ヒューと消えてしまう。

いいね。気楽で。

2012年2月5日日曜日

日本という大きな家族の問題

我が国においては、島国ならではの、均質等位の国民による国がある、という仮定が続いている。

日本という大きな家族の問題だ。


ここをスタート地点として物事を考えると、そう考えなくてはならない立場の人間たちは、常に苦しいのだ。

それでは救いはどこにあるものか

ハローキティ&こけし 青森りんご。

光センサーによる糖度・果肉保証。

津軽系こけしの写真入り説明付き。

ちなみに、キティからのメッセージあり。

     私はハローキティ。

        身長はリンゴ5個分よ。

        私の体重はリンゴ3個分よ。

これでいいなあ。

学問の価値

第一の批判者は、営々たる仕儀の中に学問の価値の応用を認めた。
したがって、学問の方法を用いなかった。

第二の批判者は、学問の価値の中に差異を設けようとした。
正統性の付け替えが必要となった。

それでは、最後の批判者は何をすべきなのか。
それは、多くの人心との親和だ。

2012年2月4日土曜日

残余をさがして、自分が達成すること

それが、河上氏が語った「個人的な」理由だ。

理想的な教師であり続けるという方法をとらずに、営々と事態をしのげるという方法を批判してのことだ。


時代はかえて。営々とした方針に、理想的な教師の在り方をとりいれようとした。

しかし、そのためには、従来の理想的な教師の在り方は批判的に第二義的以下の扱いにしなければならなかった。



理想的な教師

愛情と全幅の信頼を集め、方法を持ち、自分自身も常に学び変わりつつある人物。

可塑的にできる限りにおいて完全であること。

それは理想のひとつの極点であると言える。

さらさらと解ける

ぽわんとした気持ちで詩を作るのと、現代詩を作ることとは一致しなくて、現代詩をぽわんとした気持ちで書くときが来るとは思っていなかった。

キューピー すりおろしオニオンドレッシング のコマーシャルは面白い。

何も現代詩は「現代」である必要はなくて、ただ、「詩」であって良いので、それなら、詩をぽわんとした気持ちで作ることになるだろう。

三人のタマネギ頭の女の子が出てきて楽しそうだ。

これはぽわんとした詩だ。

こんな感じで詩を書きたい。

でもわたしは詩人ではない。

詩を作らない。

モチーフだけが宙に浮く。


宙に浮いたモチーフは、案外こころのおくそことつながっている。

すると、詩になる前の段階がじかにこころのまま、というときもあるかもしれない。

モチーフで自分のこころが、わかる。

何かな、と思ってすらすら解けてしまう。

2012年2月3日金曜日

メモ

数の話をはじめる。

1.コンパスと定規を使った作図

2.幾何学のはじめ

3.がんばっている子どもたち

2012年2月2日木曜日

不二家のマークは

はしっこが、クルクルまわる。

オバQのQは、はねてひっくりかえる。

善と悪とがぶつかると大きな星の形の火花が散る。

そんないくつかの簡単な約束事が、簡単であればあるほど、場になじんでいる。

指をならす、黒ヒョウやジュラルミン。

場外にヒョウタンツギ。

けれどもフィクションの世界がそうあるだけではなく、現実世界の中の価値、とくに文化的価値の性質の良いものは、そんな感じだ。

あとはそれを把捉するか否か。

ふたたびペコちゃん

ペコちゃんとオバQとパーマンと怪物くんは友だちだ。

知ってますか?

雪の詩

学生時分にゆきの詩を書いた。

あんまりロマンティシズムをしのばせると、お里が知れてしまう。

雪の多いところに暮らした友人は、「絶対に雪の詩など書かない」と言っていた。

そうだろう。そんなものだ。

2012年2月1日水曜日

ペコちゃん友の会

友の会にはいって、年賀はがきを買った。

ペコちゃんとポコちゃんが写っている。

にっこりとわらっている。

おもてをみると、干支の辰くんが、ペコちゃんの眼をして、ペロっと舌をだしている。

ペコちゃん辰だ。

ゆきだるまの表情

天気予報にゆきだるまが出ている。

口がついているものもあれば、ついていないものもある。

今は寒いから、苦しい地域がある。

ゆきだるまは笑っていてはいけないのだろう。

2012年1月31日火曜日

七人の侍

これは、まず音楽の世界から。

変拍子がはいった。

テーマ曲には李香蘭氏による歌詞付きの音源がある。

菊千代による回想の場面、老婆の扱い。

この2つが難題で、随分と時間をかけたのを覚えている。

ちなみに『白痴』では、これらのモチーフがもっと厳しいので、要注意だ。

原節子氏の所在が森雅之氏の表現を埋める。

映画監督というもの。おそろしい仕事だ。

1992年に久しぶりに先輩と会い

ソラリスの主題において顕著なのは、父性なのか、母性なのか、という議論をした。

海による幻影の中で、それは虚実いずれの世界にあってか、主人公は、父親のまえにひざまずく。

さて。

惑星ソラリス

人形が、壁を突き破る。

その前後の分析が、現象としての核心部分だった。

赤坂近辺の高速道路の一連の静かな展開は、なんだか、「ご褒美」だったような気がする。

リヒテルのモーツァルト

レオンスカヤとのデュエットより前には、ピアノソナタの音源はほとんど出ていなかった。

協奏曲の録音はいくつかあって、20も22も24も27もあった。

そして、結局、音の特性は、ソナタに良く出ているのだ。

聴き分けるのは、リヒテルの音だったろうか。

否。聴き分けたのは、モーツァルトの深淵なのだ。

音については、私の初仕事だった。

2012年1月29日日曜日

His Last Bow

1994年にはじめた、音の把捉における直観形式の解明が、リヒテルの死とともに終了。

茫然としていた。

剰余の課題がいくつかある。

モーツァルトにかかる見解「わからない」という言葉(モンサンジョンによるインタビュー記録)。
これは、謎の根拠としての謎となっている。

リヒテルのあいさつが記憶に残る。

2012年1月28日土曜日

バッハの最晩年の作品

それらの次には何がきたのだろうか。

スターリンの葬儀

リヒテルが延々とバッハを演奏し、ひきずりおろされた、という説がある。

未確認だ。

しかし、もし事実ならば、明白に象徴していることがあると思う。

アレクサンドル・ネフスキーにあっては

プロコフィエフらによる音の配置が、端的に観衆の耳をとらえる。

ひきずりおろされるオルガン弾き。

笛の奏鳴。

人声による斉唱。

これは、音と現実との接面の姿だ。

タルコフスキー作品にあっても、同様のことがある。

ロゴスは神の息吹

ゲンネンヴァインにしてもタルコフスキーにしても、もしそこに歌詞があれば、ドイツ語の展開に引っ張られる。

音の推移だけではなくて、コトバの支えがある。

これは、重要な意味をもたらすこともあるし、全く無用な付加物である場合もある。

例えば、ベートーヴェンがシラーから拝借した歓喜の歌は、その歌詞の意味が必ずしも音の推移と不即不離の対応を呈していないために、音自体が秘める変化も、歌詞自体の変化もその場においては充分に認識・受容不可能にしてしまう。

バッハでは、複数のカンタータが音の多様性を教えてくれる。そして、聖と俗とが交錯する。

そして、教会の会堂の中での演奏に適しないものも発生する。

ここでは、ロゴスは神の息吹「ではない」。


バッハ音楽の整則性

解釈者は、自分自身のテンポで演奏する。

フルトヴェングラーによるブランデンブルク3、5番が対象となったときに、指揮者が演奏し得るスピードの範囲内で、バッハと指揮者との共演がもたらす音がそこにあることを確認できる。

次は、バッハが何を考えていたか、ということだ。

この作曲者の思考過程をたどることが、必ず、次の次元で立ち現われる。

おおむね、バッハの音の解説書の純良なものは、この第二段階に多少なりとも触れる。

けれども、その「読者」は、どのようにたどっているのか。

ここが、出発点だった。

アンドレイ・タルコフスキー

最後の作品『サクリファイス』に幾つかの音源を活用した。

ここにバッハがある。ゲンネンヴァインによるマタイ受難曲。


『惑星ソラリス』のバッハと並べて、まだ映画音楽としての監督の料簡がわからなければ、仕方のない話だ。

レコードマップを片手に

学陽書房刊。

出張のたびにレコード屋へ。

金沢、大阪、岡山、福岡では市街地をかけまわった。

楽しかった。



2012年1月27日金曜日

間久部緑郎氏

クラシック音楽に関する知識の掘り起こしでは、ずば抜けているウィキペディアン。

この人物の付加した項目のおかげで随分勉強させてもらった。

廉価盤・海賊盤

ベートーヴェンのチェロ・ソナタをロストロポーヴィチとリヒテルで演奏したものがある。

古くはフィリップスで出されていたが、今では廉価盤ででも入手できることがある。

そして、音色に遜色ない。

名曲を子どもがお小遣いで買える。

2012年1月26日木曜日

聴き分けの不調

リヒテル、ヴェデルニコフのバッハ、リヒテル、レオンスカヤのモーツァルトのどちらも連弾の第一奏者と第二奏者の区別がつかない。

残念だ。

2012年1月25日水曜日

プラハの春音楽祭

録音集が豊富な音源をのこしている。

チェコの人々と、オイストラフが徹夜で演奏をしたそうだ。

人々の思い出の中にヴァイオリンが生きている。

2012年1月24日火曜日

春風のことば

釈宗演氏の若いころに、肇法師絶叫のくだりに相当の時間を費やしたという。

城門の外にまで声がきこえた。

それは何であったのか、というものだ。

公案として与えられたものではない。


さて、軍人の揮毫に、もしいたらないところがあるとすれば、それはそれだ。

しかし、誤解の仕方の中に、日本語の理解の仕方の典型があるのだ。

言霊、は飛躍であり補填であって、じかに歴史の魂に推参する。

それは悪くない。


いかがですか。

ネイガウス全集

デンオンがボックス盤で出した。

ショパンにはまいった。

マルコとワインガルトナー

新星堂の自主製作盤だったか、コルトーの作品集を聴いていて、はずみで、ニコライ・マルコとワインガルトナーを聴くことになった。

コルトーと共演していたわけではないが、コルトーの背後から、この2人の指揮者を発見した。

驚くべし。

マルコの切れ味は、ムラヴィンスキーの展開を穏当にしたようなもので、「この可能性あり」という別世界へのいざないだった。

ワインガルトナーは、大抵録音自体が古いのだが、音に耳が吸いついて行く。

まったく無知と言うのはおそろしい。

それでは、ロシアの音における民俗性、民族性とは

何か、というのだ。

そこで、ムラヴィンスキーとガウクとを聴きに聴いた。

この選手選抜が面白い、でしょ?

数年後に、リヒテルの音楽評を読んだ。

前者を褒め、後者をケチョンパに。

閉口した。

ロシアの音楽がなければ

日本の音楽の基盤は、ちがってしまっていたろう。

新世界レコード、赤盤の価値のみではない。

音に民俗性、民族性を入れていて当たり前なのだというのが、よかったのだろう。

アシュケナージ

指揮者として我々の眼の前に現れた。

会場には夫人同伴だったのではなかったか。

「ああ、そうだよ、確かに・・・・・・」という会話が聞こえ、われらの横をすりぬけて入館していった。

そして、音楽は、人々に身近なものだった。

オボーリン

典雅だが、音に芯がある。

それで、この人の独奏を聴かなくてはならない。

室内楽にあまりにも名盤が多いので、よくない影響だ。

アシュケナージの師匠であって、なるほどとも思うし、弟子の方がより繊細で対照的であるとも思う。

2012年1月23日月曜日

セレブリャーコフ

チャイコフスキーのピアノ協奏曲をムラヴィンスキーの指揮で録音した。

奏者の演奏の特質よりも、作曲者の作曲の経緯が説明に添えられていた。

曲を美しく演奏しようとする場合、独奏者も指揮者も努力する。

その在り方が調和して打ち出されていて、無類のものだ。

LPとCDとで、少し音質がかわる。

2012年1月22日日曜日

ボリス・ゴドゥノフ

タルコフスキー監督による演出のものがある。

ルブリョフ、ゴドゥノフ。

人の心底を表現すること。

虚構化しない現実。

ヴィシネグラツキーふたたび

音の世界の約束は原初へと仮に還元される。

音の世界の伝統的な約束ごとの中にある未見の本質がクローズアップされる。

モーツァルトからさらにバッハへと遡って、音の粒をみて、さらに、音の感受の甘美さの中に何を観るのか。

リヒテル

リヒテルについては、没後ライブ録音がかなり出てきた。

特に室内楽の演奏が多岐にわたっていて、課題がたくさんある。

バルトーク以降のものは、ひとつひとつが、初めての解釈の試みだ。工夫が際立っている。


グールドがロシアを訪問する以前からバッハを対象としていた。

そして、バッハについてリヒテルが何をその核心部分として摘出したかというと、ピアノを用いた教会音楽の演奏なのだ。

ムラヴィンスキー

近年、過去のLP等の良質な復刻が行われて、音の印象の総体が変化しつつある。

よく知らなかった、ということになる。

チャイコフスキーの交響曲、ピアノ協奏曲が、鮮烈な音としてある。

それより他にあるとしたら、録音状態は古いが、バッハの組曲2番だ。


音を演奏として活かす、指揮者による構成上の工夫が面白い。

おそらく、指揮者による音の淵源を知るには、チャイコフスキー以前の宮廷音楽や鐘の奏法を観るのが早いのだ。

今では、参考になるさまざまな種類の古典的作曲も、現に録音された音として、そこにある。

いい時代になった。



2012年1月21日土曜日

バッハの無伴奏チェロ

ロストロポーヴィチの音は、ロシアの音だ。


しかし、ベートーヴェンの三重協奏曲のオイストラフ、リヒテル、カラヤンとの録音の際は、チェロの音はオーケストラの音の推移に寄り添ったという。

もっともリヒテルのみの証言なので、あとの三者がどう考えていたかは不明だ。

そして、音は、そのとおりかな、と思う。

ピアニスト・プロコフィエフ

先年、プロコフィエフ著作集が邦訳され、その中で、プロコフィエフの渡米は「亡命」ではなかったことが明らかにされた。

正確には、我が国では、今まで誤った認識がまかりとおっていたということになる。

さて、プロコフィエフは日本ででもアメリカででも何回かコンサートを開き、旅費等を捻出していたらしい。

残されている録音では自作演奏に「3つのオレンジ」のマーチ、また、ラフマニノフの前奏曲23-5などがあって、何ともいえない味わいがある。

思弁的演奏、とでも言おうか。



オイストラフの録音

オイストラフの録音は、40年代、50年代の豊潤さが素晴らしい。

60年代以降の物は、リヒテルとの共演の場合に音が化けて突出する。

2012年1月18日水曜日

アレクサンドル・ネフスキー

おどろくべし。未見だった映像作品だ。

プロコフィエフの作品の全貌を知る者には、この音楽劇にも作曲者ならではの手法がちりばめられていることが判る。

中世紀の時代の表現方法は、シーン毎に、ひとの波、小道具、動く生き物それぞれにコンパクトにまとまっていて、安心して観ていることができる。

そして、主題は明確。



でんくわうやうりにしゆんぷうをきる

電光影裏に春風を斬る。

日本のコトバの世界で、「文学」の持つ力がどのように働くかは、このコトバの普及の仕方をみればわかる。

正解をたどっても、誤解をたどっても。

特に、揮毫には不適だ。

2012年1月8日日曜日

ヴィヴィアナ・ソフロニツキー氏について

ヴラディーミル・ソフロニツキーの音の分析は、必須の基礎作業である。

もう、今はコンサート一般に足をむけなくなってしまったが、労音のメンバーだったころ、次に誰を招きたいか、というアンケートがあったので、まよわずヴィヴィアナ・ソフロニツキー氏の名前を書いた。

奏法の伝統の確認のためである。

ギレリスの奏法

国際派、と目された。

また、「鋼鉄の打鍵」というフレーズが通っていた。

ベートーヴェンの皇帝協奏曲をベームと協演した音に、その「鋼鉄」を感じたことがあるが、ギレリスによる皇帝の幾つかの録音を比較して、ピアノとマイクの位置関係が協奏曲録音に与える影響を否定できなかった。

これに対して、「国際派」とは流麗で、細密な音の推移のなせるわざである。

「私ではなく、リヒテルがいる」という彼の発言に、余計な印象を受ける必要はない。

ギレリスはギレリス、リヒテルはリヒテルである。

2012年1月7日土曜日

もちろん

ここでも教育理論は割愛する。

存在への問い

ロゴスによって仮の決着をはかり、措定すること。

そして、それよりほかに、潜在的に存在に対して差し向けることの可能な感覚。

また、生きることの根源に関する納得。

問いに対する答えと問いの前後にある感覚や納得が我と我々との間に共有されている。

アドルノの反骨

ハイデッガーの中に、正統性や権威性の確保(陣取り)を見ているのだ。

根元的な問い

その性質は、それこそ、量感、質感などの解明の進むにつれて、どんどん背後に、すなわちさらなるメタ理論の向きに退いていくのである。

メタへと退くその手触りの程度で、論者の属する世代までもが決定されているようである。

一方で

ハイデッガーの指導教授はフッサールだった。

『存在と時間』の完成より前に、『内的時間意識の現象学』の講義草稿がハイデッガーのもとに届けられているのである。

ここにフッサールの時間論の基礎が、ハイデッガーの立論のどのような側面にとってのアンチテーゼであったのか、ということは、論者の立場によって分かれるところだろう。

今の謎と過去の謎

今にはたらく思念と過去にはたらく思念。

アドルノは音楽の人だったのだから、できたら、フッサールの『内的時間意識の現象学』をねえ。

1990年代以降、我が国で出版された音楽への現象学の適用の書物は、フッサールの『内的意識…』を批判的継承できていないのではないか。

1980年代にはすでに

ハイデッガーの『存在と時間』は、現実を明るみの元にいだし、現状を永遠化しないことに奉仕させるための参考資料であった。

しかも有力な。

アドルノは1969年になくなっているので、20年近く過ぎていたわけだが。

アドルノ・1

『哲学のアクチュアリティ』(みすず書房)を読んでいる。

冒頭いきなり、
「こんにち根元的な問いと称されていながら、その実根元的であることからもっとも遠い問い、あの存在そのものへの問い」
と、ハイデッガーによる問題設定にくぎをさす。

それは、「現実が正しく公正だと言い立てる哲学」であり、
「まさしく現実を隠蔽し、その現状を永遠化することに奉仕しています。」
と断定する。

ここからだ。

2012年1月6日金曜日

ヴィシネグラツキー

あの音源に1990年代に出会えて、本当にしあわせだった。

別の場所ですでに論じたことであるが、音楽としての音を聞き慣れた自分の感覚を洗い直す必要に迫られるのだ。


派生した、考えておくべきことがあるだろう。

心理学での量的な対象把握の議論とは別に近年「質」にかかる議論が打ち出されてきている。

コトバの使い方において示唆すれば、「量感」と「質感」というコトバの内実をもっと知りたいという願いがあるのだ。

「量」や「質」が単独で存在するのではなくて、量「感」、質「感」という認識論がそこにはある。

量への気づきの過程、質への気づきの過程の細部について、より詳しく知りたいのだ。

システムの蹉跌とシステム論の蹉跌

文化に関する価値は、すでにその検分以前に揺れている。

文化的価値の定義こそが、揺れている価値、という由来においてなされているとも考えられる。

1980年代には、時代が好況であったために、経済論の花盛りであった。

イギリスの立場やドイツの立場が透けてみえる、すると日本の立場も比較して考えられる。

考え始める地点が、ブレアであってもサッチャーであっても、ベルリンの壁が崩れる前であっても後であっても、経済的価値は通貨であり労働であって、文化的価値に比べればはるかに安定した価値であるから、考えはじめることはできたしできる。

イギリスが島国の立場で安定を継続できなければ、日本もまたできない。

ドイツが勤勉な労働に徹する機関として外からの評価を維持できなければ、日本もまたできない。
いやこちらの方は、勤勉な労働の価値に絶対的な誇りを持つことが認められないのならば、何の市場であるか、と言い換えてもよい。そのような市場が市場ならば、消滅するがいい。

我らは日々の仕事に戻ろう。ヴェーバーの言に従って。

2012年1月5日木曜日

向田邦子氏の跡を山口智子氏が訪ねる

面白い番組があった。

ただし、私は、向田作品に全く別の印象を持っているけれども。

もっとも私がどんな印象を何に対して持っていようと、それは世の中にとって大した意味はない。

だから、よいのだ。

2012年1月2日月曜日

ロシア・アヴァンギャルド

ヴィシネグラツキーの作曲が好適な基礎となる、と思う。

文化的価値の特徴

或るものがこれは文化的価値があるもので、その値は正である、と主張する。

別の或るものは、全く同じその対象を、価値はあるが、その値は負である、と主張する。

さらに、別の或るものは、それを評価する価値として全く認めない。

評価不能の状態の判断が、政治・経済の2つの領域では、投票行為や国富の評価によって一応つけられる。

文化的価値については、その価値の文化性自体では、判別がつけられないと考えてよい。

そこに、その文化的価値を、何か別の目的のための手段として用いることのできた度合い(政治性)とか、商品として流通した度合い(経済性)とかいう別領域での価値判断で代用して評価するやり方が通用する。

さて、文化的価値の評価のための純粋な基準とは何か。

国富の消失点

国富の消失点はどうやって見込まれるのか。

貨幣の流通の設定はその総量が、国民国家、企業体・組織体などの経済単位の経済活動上の実力に応じて、人工的に定められる。

したがって、ある時間に、ある経済単位としての社会がこれほどの労働能力をもっていて生産の実績をあげているのに、その構成員の保有する富の総量が小さい場合という場合には、「不当な不況である」といってよい。

国富の消失が論じられるためには、その国の経済活動総体に対する他からの評価が不況の延長で無限に評価不能の状態になることが想定されなければならない。

国富の消失点はその国の経済活動能力の評価不能の状態である。

周期性の定義の問題

    文化システムの周期性は、コンドラチェフになじむのか。周期性の成立と不成立とを分ける判別の基準が問題となる。

    例えばある文学作品が、「脱俗性」の高いものであると判定されたとしよう。仮に、判定する者やその作品の読者がそのことを肯定しても、作者は否定するかもしれない。

    ある音楽作品が、そこにあるとする。その作品は、ジャンルとして、「ジャズ」に分類されると判定されたとしよう。しかし、作者は否定するかもしれない。
   
     さらに、比較の拒否・拒絶もあり得る。

    外形的基準による強制的な判定をもって、周期の基準を定義し、確認しなければならない。

     したがって、主観性を帯びることによる精度の低さが常に否定できない。 

C-System

1.不況のときには喜劇がはやり、好況のときには悲劇がはやる。このことは本質的に文化システムの基礎と相関関係を持つか。

2.1.の答えが、肯定であるとき。
今日の日本の近未来に対する極端な楽観主義の根拠となるだろう。ここから派生して、
ア.経済システムをコントロールする為政者の側は、経済システムに起因する不況に対する被為政者の側の不満をやわらげるために、文化システムの機能を応用してよいか。
イ.被為政者の側は、為政者による文化システムの機能の応用に迎合してよいか。

3.1.の答えが、否定であるとき。
今日の日本の、笑いを無理強いし、これに観客を迎合させる文化の傾向は、文化システム独特の要素であることになる。
ア.文化システムをコントロールする側の人間は、この「笑い」のシステムの商品化をこのまま続けてよいか。
イ.「笑い」を与えられる側の観客は、「笑い」のシステムに迎合し続けてよいか。

マルクの幻影

1.ユーロ安定の度合いを問わず、ユーロの圏内にありながら、マルクの国が維持すべき要件は何か。
基礎構造の確保。
第二次大戦敗戦国にこそ、ヨーロッパを主導する最も健全な努力の成立する実績とそれを実現
させる理念とがともに存在することの実証。

2.もしユーロが解消されることがあるならば、既得の国富を確保できるか。
マルクが復活しても復活しなくても確保は可能。

ポンドの位置

1.ユーロの変化にポンドはどのような内容の影響を受けるか。

2.定式化ができるか。

続く課題

1.量は、時間の関数か。

  そのとおり

2.関数をどの程度まで立てるか。

3.時間項を解消できる第二の関数があるか。

2012年1月1日日曜日

元旦吉日

数としては。

(1)これから続く可算の時間単位がある。

(2)時間とは別次元の、プラスの値で見込まれている或る量がある。

(3)その可算の時間単位と同値の時間単位の中で(2)の量を

ア すべて費消する

イ 少し少なめに費消する

ウ さらに大きな時間単位に相応する量を費消しておく

のいずれかだ。

見極めが難しい。