ポオの『構成の原理』は面白いけれども、少しあやしげであった。
ヴァレリーやリヴィエールが志向したものが、より精確な表現であったとして、それが詩語構成のための詩学にまで濃縮されるには、詩人による意図された企画が必要となる。
マラルメやヴァレリーによる企画は、コトバの通常の役割を詩人本人及び詩人の創作を待っている読者の納得できる水準にまで特殊なものに改変することにあった。
では音に近似する詩語の効果はどこにあるのか?
詩そのものの中にある。
活字は音符なのかなあ。
ヴァレリーやリヴィエールが志向したものが、より精確な表現であったとして、それが詩語構成のための詩学にまで濃縮されるには、詩人による意図された企画が必要となる。
マラルメやヴァレリーによる企画は、コトバの通常の役割を詩人本人及び詩人の創作を待っている読者の納得できる水準にまで特殊なものに改変することにあった。
では音に近似する詩語の効果はどこにあるのか?
詩そのものの中にある。
活字は音符なのかなあ。