2012年11月17日土曜日

いうまでもなく

音には主語がない。

時間ならば変化であって、変化は必要条件である。

しかし、変化は必ずしも十分条件ではない。

汎時性は「肘は外には曲がらない」という条件を傍らに置いている。

ヴァレリーが純粋詩=絶対詩の成立条件を音の世界になぞらえたことも、フッサールが内的時間意識の現象学に音の世界を引用して「把持」の実態を究明したことも、主語がないことの条件下では異相を呈してしまうのだ。

吉田氏流ではない。

和流の一般的性質なのである。