2013年12月31日火曜日

公文俊平氏『情報社会学序説』8

ハーディンの論文『共有地の悲劇』の序にはウィーズナーとヨークの論文が引用されています。

それは、核戦争についての議論だったのですが、そこでは、軍事力の増と国家安全の減とのジレンマが取り扱われています。

それは「問題には技術的な解決はない」という結論を導きます。

同様に人口問題にも「技術的な解決」はないとハーディンは判断するのです。

根拠の一つは生物学上の事実であって、人口を最大にすれば、一人当たりの労働カロリーをゼロに近づけなければならないこと。

根拠の一つは数学上の事実であって、フォン・ノイマンとモルゲンシュテルンによるもの。2つもしくは2つより多くの変数を同時に極大にすることはできないこと。

そして、従来の常識的倫理は捨てよ、といいます。

『救命艇上に生きる』では、おぼれている者は放置せよ、といいます。

いずれも倫理の性質の拡大を促すのです。

わたしは思うのです。

環境ー経済学が、今、従うべき方針は、本来非情なものなのではないか、と。

そして、当然の帰結として、現在および近未来の我が国の採用する方針を観測するのです。

さあ、教育の世界に帰ろう。

2013年12月30日月曜日

公文俊平氏『情報社会学序説』7

そのシステムが「実」の性質のものか「虚」の性質のものかは、モデルを取り扱う主体の知的水準に依拠します。

公文氏らが、その立論を現実世界にできるだけ寄り添わせようとする理由は、本人たちに問わねばわからないことです。

あとは、リアルの世界の分析の現実性にどれだけ読者が興味を持つかによるでしょう。

読者論は遠慮しておきます。

公文俊平氏『情報社会学序説』6

システムの二重性。2つの次元の二重性があります。

結局、ハーディングに悩む、といった「共有地の悲劇」や「救命艇の倫理」をにらんだシステム構築を尊重し、そうではないものももう一つ構築するという二重性の場合。

それから虚のシステムを本来のシステム以外に意識するという二重性の場合です。

前者のペアでは、あるモデルとその乗り越えを図るモデルとの並置ですから、ともにリアルに存在するシステムです。

後者のペアでは、古典的革命論、例えば20世紀に隆盛を保ったマルキシズムなどの場合、眼前の現実世界の分析によるモデルと、そうではない理想状態への到達が叶った状態でのモデルがあって、あとの方は「虚」の様態をとります。

わたしは、虚の世界を同時に認識している弁証法的考察に関心を持ち続けてきました。もとはどこにあるか。実はヘーゲルにではありません。もともとドイツの哲学界に存在する対置概念を尊重する思考法に源流を求めています。

例えば、河上徹太郎氏の批評スタイルに強く影響を受けました。氏は音楽美学から文壇に移行した人なので、音について論じる基本を、楽譜とともに「直輸入」で身につけた訳です。

さて、この伝でいくと、公文氏の判断は、いずれ現実政治・経済システムの中で採用されてしかるべき実践性をたたえている筈なのですが、いずれの種類の二重性に位置するのでしょうか。

「虚」のシステムを意識するものではないような気がします。

コモンズ、共同体、への分析が現実のコモンズと理想のコモンズに分け「られない」ような気がするので。リアルの中で遷移する変化を視野の中に入れているのではないでしょうか。

公文俊平氏『情報社会学序説』5

おそらくは、ここには学問の「実践性」の問題が伏在しています。

政策施策についての実践感覚が判断の基準として呼び出されなくてはならないでしょう。

現実の描出に際して、数値化、数式化による近似が見出されることが、数理としての学問の勝利を意味するのであれば、その勝利はその場において完全に成立しています。

しかし、それはあくまでも客観的描出の勝利であり、それに基づいて如何なる判断を政治的に下すかは、別の事柄になります。

ヴェルトフライハイトのある種の解釈でもあります。

2013年12月29日日曜日

公文俊平氏『情報社会学序説』4

読者各自の経験的知識から、関数の近似を補正したり否定したりするような「そうではない」項の提出をみる場合、どのようなことが具体的に考えられるでしょう。

「環境」の対象化のスタンスについての問題。

ハーディングとザックスとの間には今道博士らによる「エコエティカ」があります。

公文氏は現代の環境学の見解にハーディングを乗り越える契機を見出します。

しかし、その見解は環境ー経済学です。

ザックスらもまた、「公平」の概念を用いて富の均衡の平準化の可能性を計測します。

しかし、その見解もまた環境ー経済学です。エコエティカは崩壊しています。

かつて丸山眞男氏が『日本の思想』(岩波新書)の中でササラ型とタコツボ型との比較を比喩的に打ち出しました。これに倣うと情報社会学の世界におけるササラ型の情報交換=悲劇がここに認められると言えるでしょう。

政策施策の文法の問題。

政策施策には独自の文法が保持されています。たとえば、我が国においては、福祉的概念の打ち出しは、時の政権が保革いずれの存在であっても、まず保守の側から為されます。

厚生省、厚生労働省時代のはざまで介護の概念が対社会の普及施策のベルトコンベアーの上に乗りました。最初に基本概念が小さく讀賣新聞の紙上に現れます。そして少し時間をおいて各紙が後を追います。これらを受け取る側は初動のきざしを受け取り損なわないようにする必要があります。

情報社会学の世界におけるタコツボ型の情報交換=悲劇がここに認められると言えるでしょう。

公文俊平氏『情報社会学序説』3

著者はコモンズ(共有地)についての概念設定を中途で終えます。

というのも、ガレット・ハーディンの立論を否定的に乗り越える作業をしたからです。

コモンズの性質に応じて、議論は多岐にわたるでしょうし、著者は、この本を出版した時点でさらに未来に向けて展開しようとするいくつかの契機(「付記」)までも示しています。

その一つ一つを眺めていて、私が何か付け加えることがあるとしたら、・・・・・・と考えました。読者の数ほどそういう視点は発生し得るでしょう。

パレート、ジップ、アダミックが累積確率分布関数への道程を啓示したとして、構成単位が人である場合の社会事象の有機的、無機的取扱いを累積確率分布関数として理解することへの抵抗が限りなく小さくなっていくためには、システム論や有機体論への慣れが必要であるような気がします。

この慣れを学習する機会を取得するためには、知的努力や知的努力による諸産物を自由に駆使できる確信を持つことが、世の中に当たり前のようにある世界があるのだということを、まず知らねばならないでしょう。

そして、以上のような累積確率分布関数に対する理解が成立したうえで、ここで、読者各自の経験的知識から、関数の近似を補正したり否定したりするような「そうではない」項の提出をみなければならないでしょう。

2013年12月28日土曜日

公文俊平氏『情報社会学序説』2

井伏鱒二氏がある会合の場で、自分の見聞した生き物について、周囲の人にその生態を面白おかしく話していました。

それを聞いていた三好達治氏が一言「おおむね正しいな」と言いました。

井伏氏はギョッとしたような表情を見せたそうです。三好氏はファーブルの翻訳をしていて覚えがあった訳です。

公文氏による立論は、実はこの井伏・三好の両者の立場を兼任しています。事実に立脚し、分析に依存するスタイルをとっていて、「情報社会学」という言挙げも元はインターネット等の普及に伴う情報ネットワークによるコミュニティー作成の推移に立ち会った上でのことです。

近未来の社会の姿を予想する行為が現実性を強く帯びているのはそういった研究姿勢によるものでしょう。
コンドラチエフ(Николай Дмитриевич Кондратьев、 Nikolai Dmitriyevich Kondratiev)の波のことを思い出してみてもよいかも知れません。

公文俊平氏『情報社会学序説』1

少しずつひもといて紹介したいと思いますけれども、公・私・共の3つの核を尊重しようとする姿勢は、「自分の見方の妥当性への確信」にいたるまで、この最後の「共」の原理と領域とを見つめ続けるものであったといいます。

わたしはここに佇んでしまいます。「自分の見方の妥当性」を測るような種類の社会科学の価値が、研究者自身の生き方や方法論にとどまるものではない「公的な」存在であることは明らかであって、その見方や見方に基づく判断の結果は、実際には世の中のある部分を受け持って導いていくものだからです。

啓発されるところが大です。

別のことなのですけれども、70年代のパラダイムの一つに小林秀雄氏の「社会化された私」というものがありました。これ中学の頃によく友人と議論したのですが、純粋に「私」の立場に立つことは、なかなか難しい世の中になっていました。

対抗馬の花田清輝氏は、楕円の2つの焦点というものに注目しました。名高い立論はナショナルなものとインターナショナルなものとの対立についてです。これらを単に対立させるだけではなく、2つの焦点に置いた発想を表示しました。ここで注意すべきなのは、あくまでも「ナショナルなもの」と言ったのであって、「ナショナリズム」とは言っていないことです。柳田農政学や民俗学、岡本太郎氏の原日本論などを念頭に置いていたようです。

公文氏の立論から拝借したものを少し変換すると、公・私・共の相互浸透が立ち現れます。ここから文化システム論がスタートするのでしょうけれども、公文氏自身はその類の著作を出してはいないようです。

インターネット時代の雑種文化論は、ある主体が、公私共の性格を自身の中に混在させているところから始まるものなのでしょう。・・・・・・楽しい時代になりました。

2013年12月26日木曜日

諸井誠氏

早朝4時20分から池辺晋一郎氏による諸井誠氏をしのぶ放送がありました。

黛敏郎氏との共作による「7のヴァリエーション」という作品があったことなど、私は知らなかったことがいくつも紹介されていました。

録音CDで実際に聴いたことのあるものしか記憶には残っていません。これは、怠慢だったなあと思いました。

まだまだ研究の余地があるのは楽しみでもあります。

2013年12月25日水曜日

ヴィゴツキーに会った日本人

山下徳治という人が、生前のヴィゴツキーに会っています。

既にドイツ留学の際に触れていたイェンシュの直観像理論をロシアの研究所でヴィゴツキーとルリヤ(Алекса́ндр Рома́нович Лу́рия、Alexander Romanovich Luria)が検証する実験に立ち会ったのです。

このとき山下氏はヴィゴツキーの研究スタイルを「一般心理学」であると言っています。この「一般」という表記に無限の含みがあります。そう見えたのです。

2013年12月24日火曜日

今、そこにいる自分ではない人間

今、そこにいる自分ではない人間、に対する行為であることが、教授行為の原点です。

ヴィゴツキー(Лев Семенович Выготский、 Lev Semenovich Vygotsky)が障害者教育の研究に没入した起点には、彼が研究者として生きるのと同時に行為者として施術者として相手となる人間に向かって働きかける姿勢がありました。

あるとき、身体を震わせていて、自分の行動を制御することが「できないように見受けられる」一人の人がいました。

ヴィゴツキーは、紙片を細かくちぎり、その人の前に並べたそうです。

すると紙片をたどって、歩き出したのです。

総体の行為が人間の行為であって、それは単なる部分の集合ではありません。

また、人は人に対して働きかけなくてはならない義務を持っています。

ロシア教育学の学習=教授理論の根底には、この総合性と実践性とがあります。先に挙げた4つの条件はこれに比べれば、ほとんど意味を持たないといってもいいかも知れません。

パーヴェル・セレブリャーコフのラフマニノフ集

パーヴェル・セレブリャーコフ(Павел Алексеевич Серебряков、Pavel Alexeyevich Serebryakov)のラフマニノフ集を聴きました。

タメ・マチを置いて、派手な展開の部分を随所において抑制します。

おそらくはルビンシュテイン以来のロシアの典雅な奏法の流れの継承者なのでしょう。

新しい体験となりました。

2013年12月23日月曜日

仮説の不備

仮説の不備は、必ずしもそれを立てる者の怠慢を意味しはしません。

より進んだ研究をするためには、考察の基本となるモデルはできるだけ簡素であることが望ましいからです。

オートマトンの応用なども自己増殖の基本を簡素な再生機構に置いたからこそ、今日のような発展をみたとも言えるのです。

非線形のものを線形に近似させてみる。

複雑な条件を1,2個因子を排除したものにしてみる。

例えば、株の取引きの基本にもこれらのことは応用されていて、個人の直観を十分に補う方法となっているのです。

逆に現実の状況に対処しなければならなくなったときに、状況の説明は、わざと簡潔なものにせざるを得なくなります。例えば、2000年問題のとき、またペイオフ確定のとき、私たちは簡潔な情報によって構成された説明のコトバにしなければ、容易に情報を共有できませんでした。

仮説はもともと近似的なものであって、一切をカバーすることはできません。

今、わたしたちが置かれている経済的状況について、膠着している、硬直化している議論を突破するために、仮説の不備を補う形で新たな提案がなされ始めています。

ここに救いの道を探るよりほかはないように、私も思います。
 

相反する2つの方針

価値論の世界では、まず自らの所在する地域の安定の確保を重要な行動方針の1つとしなければなりません。

例えば、地域に対する尊重の意識の延長上に「愛国心」が育てられることになります。

これはいわば求心性を持つ価値体系です。

一方で、世界の外には次元の異なる別な世界があって、場合によっては互いに被覆あるいは包含の関係にあります。最たる例が宇宙船地球号、という発想で、世界の外郭を地球にまで拡大するものとなります。

ここでは、世界が「開かれて」いて、最初にあげた地域の安定という「閉じられた」系についての考察とは別のものを必要とすることになります。遠心性を持つ価値体系です。

わたしたちは、世界のどの地域に住み、生きていようと、こういった相反する2つの方針を常に手にしていることになります。

要はバランスをとることが必要であるときに、両者の間に矛盾も生ずるのだという点です。

特に集団的心性が関与する場合には、私たちは決断した選択をしなければならなくなります。ただし、このことは今に始まったことではありません。

2013年12月22日日曜日

フッサールの前に

フッサールの前に、「生きている私」を基軸とする空間があります。

この空間はフッサールという生きている人間によって知覚される限りでの空間です。

私は現象学的心理学を用いる教育学を視野に入れていたので、こちらに関する考察は省きます。

情報に関する研究ではまず仮説としてのニューラルネットワークを構成します。

この過程で人はどのように学習するかが問題となります。こちらはコネクショニズムです。

さて、第一にニューラルネットワークに関する議論では、「生きている私」は捨象されます。

第二にコネクショニズムではニューラルネットワークの構成の過程で捨象された複雑な=未解明な=かっこでくくられた条件は再考されません。

第三に内的過程を重視する研究ではその内的過程への社会的因子の関与も省略されます。

第四に社会的因子の関与の排除によって内的過程の矛盾の過程の考察が重視されません。

我が国の教育学が1970年代以降一見反転しているかのように見えるのには、以上の4つの条件が関わっています。

これだけなら教育の世界だけの問題で済みました。

ところがこれが原因で、経済的破綻を招くとは、20世紀の間には多くの人間は予想できなかったのです。

 

2013年12月18日水曜日

TODDLERS ON TECHNOLOGY

面白い本でした。

iPadが電子おもちゃに化けるというのは、今の時代ならではでしょう。

2013年12月14日土曜日

島国である英国と日本

島国であるので、少し離れた距離から客観的にものごとをみることができるのでしょう。

しかし、だからといって優越しているわけではありません。

また、宗教も特別ですね。

2013年12月13日金曜日

坂本氏の新作CD一枚

坂本龍一氏の『RYUICHI SAKAMOTO Playing the Orchestra 2013』を手に入れました。

とても美しい音楽が13曲収められています。

わたしは「Rain」が好きです。映画ラストエンペラーの中で皇帝の周囲の人間の中でただ一人自由を獲得する第二夫人のテーマでした。

そんな劇の筋にもふさわしいし、映画から離れて独立した音楽としても切迫感あふれる展開の端々がキラリと光っていてこたえられません。

おすすめです。

ヨオロツパの文化

EUとは、ほぼ標準時を共有できる人々の集合体です。

2013年12月12日木曜日

標準時という思想

グリニッジ標準時、という一個の思想があります。

日本はGMT+9:00です。

この差異に伴う文化的性質の差異はいかなるものでしょうか。

そのことが私の持つ問いの中ではかなり重要なものなのです。

優等性と劣等性。

2013年12月11日水曜日

ムジカ・ポエティカ

<そこ>に音や言葉で与えられる充実があるのならば、生の充実の瞬間としては、充分であるのでしょう。

でも、与える人は立派だと思います。

2013年12月9日月曜日

心性が阻害する

こころの時代、という表現だと、無限の懐かしさと安らぎに直結してもいいでしょう。

しかし、経済のあり方がほとんどの基礎を決定するときに、経済の安定的な推移を妨げるのは、まず人々の心性です。

準備をさんざん重ねて努力して、大きな壁となるのは、人の心、人々の心です。

この働きの性質を徹底して分析して解体して、乗り越えることが必要です。

なかなか理想的な解が出ないものです。

2013年12月7日土曜日

あなたの一冊

いまの時代にあなたならどの一冊を推薦するでしょうか。

2013年12月5日木曜日

今思うこと

私は最近、経済に根差す社会構造の特徴は「相互搾取」に尽きるという叙述を読みました。

このことは、価値論、価値を意図的に抜き出してそれを対象化するような考察の場では「価値観の相克」という意味に転ずるでしょう。

現実の事実叙述が確実に成立していれば、そのあとに当為がくるのでしょう。

しかし、実際には当為が先なのです。

当為が先であるのに、そのことに覆いをして、事実を叙述していくのも、我ながらいかがなものかと思います。

我が国の経済状況はあと3ケ月が山場です。

苦しいことだと思います。



 

2013年11月17日日曜日

検証と根拠

検証も大切ですけれども、本当に大切なのは「根拠」を持っていて、それを示すことができることです。
 
自分に残された時間では、自信をもってやれる仕事をしていきたいと思います。
 
本領発揮といったところです。
 
今まではいろいろと制約があって、そんなわけにはいきませんでしたから。
 
 
 

2013年11月2日土曜日

科学による検証

教育科学の世界では、とにかく今やっていることの確認が必要となります。

そして、そのためには確認するために用いる理論が先に存在していなくてはなりません。

今やっていることは、教育に関する行為であれば、いかなるものもそれ自体既に意味のあるものですが、さらにその行為と理論との相関について考えていなくてはなりません。

この「考えていなくてはならない」ことが一度始めるとやめられません。

性にあっているのでしょう。

2013年9月24日火曜日

教材としてのテキスト

文学の世界での表現は、読者に読まれ、理解されることを前提として存在しています。

もし、理解しにくい読者がいるのならば、その理解を助けることが教育行為(教授行為)の大切な機能となります。

これはテキストを読み込み可能なものに変化させることと同等です。

また、交換可能なものに変化させると言い直しても良いです。

2013年9月23日月曜日

還元の方法

解釈学、現象学、分析哲学、記号論、意味論。

この5つの路線がありました。

1985年

説明の相手によって、説明の仕方も内容も多少変化します。

教職員予備軍の人々向けといたしましょう。

1985年に研究者仲間の間で意見交換の場がもたれました。ちょうどわたしは小林秀雄氏の『感想』研究を終えたところだったので、次に何をやるか決めかねていた頃でした。

当時東京大学の中で隆盛だったシステム論の中でどの部分を受け持つかということだったのです。

友人の一人が、「君は関心の対象と表現の方法にほかの者にはない特徴があるから『テキストの読み込み可能なものの集約』をやったらどうか」と言いました。

このことを少しかみくだいて説明すると、通常日本語でつづられているテキストは、そのままの形式では、一般的な式に還元できないのです。記号化、英語化できないといってもよいでしょう。

また、日本語による表現の含む比喩の働きには、まだ解明されていない内容があるのです。特に文壇と呼ばれる我が国の表現世界でのギルドには独特の隠されたルールがあって、それを知らないと、文字通りの表面上の意味しか把握できません。

端的には「批評の意味がわからない」という具体的な現象を招くことになります。これはプロの文筆家でもあちらこちらで誤りをおかしているもので、批評の批評は難しい、という結果をもたらしています。

ここからの出発でした。

2013年9月18日水曜日

プロコフィエフのフルートとピアノのためのソナタ

マリーナ・ヴォロシュツォーヴァとリヒテルとの演奏です。

美しいものです。

2013年9月13日金曜日

アルヴォ・ペルトの『フラトレス』

BSの番組でオーストラリア室内管弦楽団の演奏でやっていました。

ペルトの演奏も徐々にひろがってきました。

親和性の問題でしょう。

2013年9月11日水曜日

しぬびの話から少し離れると

バッハの管弦楽組曲は4本あります。

私は断然第2番が素晴らしいと思います。

でも、それがなぜかということはとても難しいです。

40年以上聴いてきて、うまく説明できません。

笛が自由を得ているところでしょうか。

2013年9月10日火曜日

しぬび(高橋悠治氏)

今では第一曲が好きです。

三曲録音があって、この曲がわたしには一番しっくりくると思うのです。

半年ほど聞かないでいて、聴き直しをしたところ、第一曲が浮かび上がってきました。


尺八をベースとする曲の創作に対して、まず最初に聴くときの驚きがあります。

それは、文字通り驚きなので、どこに何が吹奏されるかは予想不可能です。

繰り返して聴くと、聴覚は感覚の楽譜を予定するようになります。

そうして音に馴染んで初めて受け取ることになる曲の総体があります。
 

2013年9月8日日曜日

ムラヴィンスキーのラヴェル「ボレロ」

レニングラード・フィルハーモニー。1953年。60年前の音源です。

ロシアバレエにもふさわしい、押し出しの強い曲調となっています。

管楽器がすばらしいです。

2013年8月29日木曜日

シェーンベルク・ベルク・ウェーベルン

ヨハン・シュトラウスⅡ世の皇帝円舞曲、.南国のばら、酒・女・歌、わたしの恋人を十二音音楽三人衆が編曲しました。

1921年、フェライン・フュール・ムジカリッシュ・プリヴァート・アウフ・フュールンクは、予定していたコンサートのための歌手に逃げられました。

そこで、三人は、ヨハン・シュトラウスⅡ世のワルツを編曲して演目を変えた演奏会を開かざるを得なかったのです。

そこで生れた編曲集の演奏をマンフレート・ライヒェルト指揮のバーデン=バーデン合奏団が行ったものです。1977年の録音です。

面白くってしょうがありません。

2013年8月23日金曜日

クセナキス氏のヴィンドゥンゲン

これは、12のチェロ奏者のための作品です。

付された題は、積層、重ね合わせ、巻き込み、重ね込み、といった意味に置き換えられます。


まず旋律がリードし、次に総参加の音の収斂が起こります。

マジカルナンバー7プラスマイナス2といいますが、個別の聞き分けは成立しません。

音は不安をかきたて、やがて、ノイズ化して個々の頂点を少しずつずらして連続した呈示をみます。

ここで、注意すべきなのは、複数の平均して維持される音量の中でインディケーターが振り切りっ放しになることです。

各自の最高点が次々と現れるのです。

わたしはセラミックスピーカーで確認しました。

最終部の展開まで一気呵成です。

音源:Die 12 Cellisten der Berliner Philharmoniker(1981、Telefunken)
 
 
    IANNIS XENAKIS : Windungen(1976)für 12 Violoncellisten

伊東静雄氏「曠野の歌」続き

これを連嶺の夢想を核とする叙景の形式を借りた叙情詩だとするのが、よくある判断です。

しかし、叙景と叙情が半々でもなく、これを叙情の装いを借りた叙景詩であるとすると、すっきりすると思うのです。

徹底した白雪を叙景する。

これが地上の価値の定着なのではないでしょうか。

2013年8月21日水曜日

伊東静雄氏「曠野の歌」

曠野の歌


わが死せむ美しき日のために
連嶺の夢想よ! が白雪を
消さずあれ
息ぐるしい稀薄のこれの曠野に
ひと知れぬ泉をすぎ
非時ときじくの木の実るる
隠れたる場しよを過ぎ
われの播種く花のしるし
近づく日わが屍骸なきがらを曳かむ馬を
この道標しめはいざなひ還さむ
あゝかくてわが永久とはの帰郷を
高貴なるが白き光見送り
木の実照り 泉はわらひ……
わが痛き夢よこの時ぞ遂に
休らはむもの!
(青空文庫より)

今、『富士山の文学』(久保田 淳著)を角川文庫で読んでいます。

わたしは、伊東静雄氏が『万葉集』の「時じくそ 雪は降りける」からの美しい連携として、曠野の歌を組んだとしても面白いと考えていたのを思い出しました。

2013年7月31日水曜日

水のイメージ(武満徹氏)

「なぜドビュッシーなんかの、あの頃の印象派といわれる人たちが水のイメージにとりつかれたか。」
「一番関係してくるのはフォームの問題、音楽構成の問題だと思うんですよ。」
「さっきのアキさんの表現を借りれば、ハーモニーと旋律がつかず離れずあって、非常に多層だ。そして、たとえばハーモニーが変わると、旋律自体は同じなんだけれども、まるで水が丸い器に入った時に丸い形になるように、それは変わっているということですよね。」

この多層性の音楽構成の中での謎が、尺八の音です。

曲の外側に向かって切り立つ笛の音があるのです。横山氏らの音の内省的といえるようなコントロールが、ときどき単独での尺八の音の外形を、曲から「離れて」受容者に伝えます。

さて、それは音ですが、「表現」なのでしょうか。

水のように統一された調和の音楽のただなかに、たちあらわれる音。

作曲者の武満氏はそこらの音の存在、水から離れる音の存在を喜んで尊重していたのではないでしょうか。

2013年7月30日火曜日

高橋アキ氏著『パルランド―私のピアノ人生』

ここに、貴重な著作が出まして、音を生みだす人の語る言葉が多くの問いをもたらし、また多くの解決をみています。

わたしは、最初に読み終って、著者の兄上である高橋悠治氏が、著者が弾く音が讃美歌のようになる、と評した点が頭の中で反響していました。

音は、それがどのような厳しい現実を活写するものであれ、そのことを認識してもなお、そこにその厳しさが表現されなぞらえられていることに感動を覚えずにはいられないものです。

それが厳しい認識とつながっていようとも、不愉快になろうと思って音を聴くのではありません。現実をそのようにとらえていることへの「共感」があって、そのことは変な言い方になりますが、喜び、に類するものとなるはずです。

讃美歌のような細い、高い、やわらかな、光源へと指向する音が、聴く者をどれだけ救うことでしょうか。

音の美だけは人を裏切りません。

価値の相対化を検証し、みずからの主観もきちんとバラバラに分解してやろうと待ち構えている者にさえ、それは絶対の真理です。

真=美がどこに存在するか、「言え」と問うて答えることができないのならば、例えば、『内的時間意識の現象学』なんて何の意味があるのでしょうか。わたしは美学者の作る文章が好きですが、美学なぞ信用しません。今道友信氏の著作ですら、ちょっと保留してしまいます。

生の現実の中に「在る」ことが絶対です。

 

2013年7月28日日曜日

音と音

それでは、この録音は開放へと向かうのでしょうか、それとも切迫へと向かうのでしょうか。

わたしは、全く同じ問いを別の世界で立てたことがあります。

黒澤明氏の『隠し砦の三悪人』の終局部。

裏切り御免、からの一連の急展開が、遂に三者の揃い踏みで舞台転換して閉じます。

ここに、これは開放であるか、切迫であるか。

吉田氏は武満氏を広く紹介したいのです。

そこで、禁欲的な自己規制という言葉を音楽に当てたのは、おそらく氏の武満人物観の結晶の表現なのでしょう。

でも、音を聴いてください。

例えば、ピアノ・ディスタンスは、高橋悠治氏のピアノ演奏にかかるものです。

音はいつものように丸く、穏やかな基調です。そこに細音、太音、高音、低音が散らされていて、真の特徴は音と音との間にある「間(ま)」にあります。

そこで透かされて見えてくるのは、日本の音、文楽、能、浄瑠璃、筝曲等のすべての集合から、作曲者が見抜いた数々の特徴から、さらに選ばれた音と間なのです。

それが、奏者のタッチの鮮烈さで増幅されるのです。音と間とが一体化されて増幅されるといってよろしいのです。

あとは受容者の側が、何を聴きとり、己の耳と心とをどこに落着させるかです。

厳しい、とストラヴィンスキーが感覚したのは、作曲姿勢ではなく、曲の特徴でしょう。

それは、おそらく選ばれた「和」の音楽の持つある特徴をさらに鮮烈に研ぎ澄ました音だったに相違ありません。

良い音を聴かせてもらいました。

吉田秀和氏の評言

『武満徹の世界』の解説に、吉田秀和氏がストラヴィンスキーの評語を引用しています。

「あの小柄な男が、このような厳しい作品を書くとは。」

この「厳しい」の部分を敷衍して、吉田氏は、音の素材の自由ではなく、創作する者の禁欲的な自己規制の厳しさのことだと信ずる、と続けています。

そして、その例としてピアノ・ディスタンスなどを挙げているのです。

わたしは、ここで立ち止まります。

これは少し早すぎると思うのです。

吉田氏が生きておいでの間に質問すべきでした。
 

2013年7月20日土曜日

シャルル・カミーユ・サン=サーンス

プラガ・レーベル。

ピアノ協奏曲第2番:ギレリス、クリュイタンス

序曲とロンド・カプリチオーソ:スターン、オーマンディ

チェロ協奏曲第1番:ロストロポーヴィチ、サージェント

ヴァイオリン協奏曲第3番:グリュミオー、フルネ

昔のヴルタヴァ・レーベルですね。

音、音、また音で、圧倒されました。

2013年7月16日火曜日

歌の翼に

Auf Flügeln des Gesanges,
Herzliebchen, trag ich dich fort,
Fort nach den Fluren des Ganges,
Dort weiß ich den schönsten Ort.


Dort liegt ein rotblühender Garten
Im stillen Mondenschein;
Die Lotosblumen erwarten
Ihr trautes Schwesterlein.

Die Veilchen kichern und kosen,
Und schaun nach den Sternen empor;
Heimlich erzählen die Rosen
Sich duftende Märchen ins Ohr.

Es hüpfen herbei und lauschen
Die frommen, klugen Gazelln;
Und in der Ferne rauschen
Des heiligen Stromes Welln.

Dort wollen wir niedersinken
Unter dem Palmenbaum,
Und Liebe und Ruhe trinken,
Und träumen seligen Traum.
 
これは東洋の表現です。
 
しかし、メンデルスゾーンは、普遍表現を志す国際派の音楽人でした。
 
ハイネの詩も面白いけれども、メロディーが美しいと思います。

2013年7月15日月曜日

アサフィエフによるメンデルスゾーン

樹下節氏訳で。

「美しく典雅な様式をそなえたメンデルスゾーンは、ブルジョア的音楽現象に、封建的王侯の居城や貴族のサロンの耽美主義の名残りをもち込んだ。」

そうですね。

2013年6月12日水曜日

アサフィエフの説明

『ロシヤの音楽』は、ところどころ、驚くべき解釈を示していて、驚かされます。

いままで、或る曲の持つ意味、或る音楽家の或る態度についてうすうす感じていたことの意味、それらの鮮やかな読み解きが見られるのです。

2013年6月10日月曜日

たった一つの注意書き

「アサフィエフは『パリの炎』の中で、フランス革命期にまで遡る、伝統のメロディーを応用しました。」

これが、パリを再現した工夫の中心でした。そして、その場面にふさわしい情景描写を、音楽を助けとして実現させることは、当然のことだったのです。

その頃のパリにいるような体験を観客にしてもらうこと。これは音による奉仕精神です。

2013年6月9日日曜日

ヴィゴツキーの軛

ヴィゴツキーには、活動に対する制約が幾つかありました。
そのうちの一つは、彼が真理の追究者であったのに対し、当時の学問の世界、社会、政府は、これら三者それぞれにとって必要な価値基準にかなう研究内容しか流通することを認めようとしなかったことです。

いま彼の没後80年近くたって、この歴史的制約は一切存在しません。

それで?

この四半世紀のあいだ、わたしは、わたしたちにとって必要な対象が、今は存在しない彼の視野の延長上に切り開かれることを前提に、さまざまな領域にわたる数多くの対象の点検を積み重ねてきました。

とても充実していたと思います。

大抵の場合、追究の対象とその対象の分析から導き出されるなにものかは、時系列にそってあとからやってきます。

しかし、世間の時の流れとは相違して、先に、その対象の分析から導き出されるべきなにものかが、その形姿をあらわすことがありました。

ここがヴィゴツキアンにとっての独特の現象です。



 

2013年6月4日火曜日

音楽教育のために

アサフィエフの立論です。

小さな命題です。

「学校の教科として音楽を考えるとき、さし当り音楽理論の問題をきっぱりと捨てて、音楽とは芸術である。

つまり人間の創り出した世界の中のある現象であって、学習し研究する学問ではないと言わなければならない。」(柴田義松氏訳)

そして、それは子どもたち、若い人たちが、さまざまな感想を音、音楽に対して持つことを見守ります。

知と情。
 

2013年6月3日月曜日

アサフィエフの論陣

この人物は批評家でした。

そして、新しい音楽また同時により理想的な真の音楽の創造を目指しました。

バレエの世界は、しきたりと革新とのないまぜになっている現場です。

そこで、常に前進しようとし続けたことが、ロシア革命後の時代において、アサフィエフの論説に強い意味を与えました。

現代音楽、の創造は時代に対する抵抗、人々にとっては奇異な存在であることさえあります。

ところが、アサフィエフの思想は、「インサイダー」のものと化したのです。

盟友プロコフィエフの音楽の特徴にも、この逆転を透視することができます。

2013年6月2日日曜日

ボリス・アサフィエフ

アサフィエフの作曲したコンチェルティーノの録音をドレスラー氏のクラリネットとペトルシャンスキー氏のピアノによる協演で聴きました。

アサフィエフは劇場の音楽監督をつとめていました。リヒテルも劇場付きのピアニストから始めましたし、ムラヴィンスキーも劇場の指揮者でした。

コンチェルティーノは「協演」の粋です。そして、この音ならば、もしリヒテルが演奏に参加したら、例えばオイストラフとの協演に類する演奏になるのならば、例の対比奏法を爆発させるだろうと思いました。

というよりもロシアの音が、しかも国際派のアサフィエフの音が、元から劇的対比を求めているのです。

良い勉強になりました。

 

2013年3月24日日曜日

Alva Noto氏の試み

ロゴスは、普遍への手段である前に集約の核である、という判断があるのでしょう。

そして、それはロゴスでも非ロゴスである音でも映像でも同様ではないでしょうか。

集約されたものが読解されます。

ちなみに圧縮されたものが解凍される、ということとはほんの少し異なります。

核=結晶がすでにして一種の達成でありますから。

2013年3月22日金曜日

utp_

久しぶりにutp_を視聴しました。

映像が二次元の相にあって表現するものは雄弁です。

はじめて観る種類の像でしょうか。

確かにそこに呈示されるさまざまな種類の像は、スクリーンに在る限りでは、はじめて観るものであっても、必ずどこかにすでに知っている要素があります。

近代に馴れた我々の経験が、新たな像を受容するのに助けになっています。

はじめてなのに、なじみがあるのです。

近代に馴れる度合いが小さい場合には、ここに在る像の受容の在り方は、また別物となるかもしれません。

2013年3月17日日曜日

クセナキス氏の『キアニア』

クラスター(音塊)としての音の形が、作曲者によって与えられます。

受容者の側は、それを受け流すことは決してできません。

それでは、作曲者の意識は何に対して向かい、何を対象としているものなのでしょう。

この問いに答えることが豊かなロジックをもたらしてくれるのではないでしょうか。

2013年2月16日土曜日

クセナキス氏の『風の中の藁』

人が他の人に本当に伝えたいことを伝えるためには、この筆記文のように多くの言葉を費やす必要はないかも知れません。

ここに伝えたいこと と 伝える筆記文 とが対立するのですが、これは任意の対立です。

なぜならば、伝えたいこと と 伝える音楽 とについて対象化しているのですから。

文はなくても良いのです。

二項対立の音楽における現況は、ベートーヴェンのチェロ・ピアノソナタや、ブラームスのヴァイオリン・ピアノソナタによっても明らかなように、調和と同時に双方それぞれの、極論すれば勝手な意思表示のモチーフによって成立します。

これをクセナキス氏は、より精確に、調和及び双方の意志表示をすべて相対化します。

依存していて依存していません。

けれんみのないところに、His Last Bow があります。

音の素型の対置ですね。

2013年2月12日火曜日

クセナキスのEONTA

光には測定可能な圧力があります。

トランペットが止んだ時に、ピアノが音を発するのです。

しかし、それはあまりにもやわらかな静かな音なので、音をそのまま音として受けとることを許しません。

受容者の在り様を予想するのは作曲者の仕事です。

ここまでを予想しているのならば、音は光の圧力のように受け取られることを、わかっていつつ音を指示したことになります。

リヒテルの対比奏法は音楽の真の魅力を引き出したといいます。

そのとき、引き出さなければならない行程があるとすれば、それは努力や無理がその分かかっていることになります。

クセナキスはあらかじめ引き出す結果をじかに示しておきます。

わたしたちの意識は何かをひっかけてかえってきます。

フェイドアウト。DVDの映像より。

 

2013年2月10日日曜日

ライサ・マリタンにはじまる

ベルクソンの講義によってライサ・マリタンは希望を見出したといいます。

わたしとは順番が違うのだなと思いました。

ベルクソンはまず沢瀉久敬氏による紹介から読みました。10代のころで、明快で簡潔な表現と思考という論旨がベルクソンというよりも医学校で講義する哲人沢瀉氏の風貌を強く示していました。

確か同時並行で白土三平氏のサスケ、カムイを読んでいたのです。

ベルクソンの岩波文庫本と古本屋さんで買ってきた選集の数冊とで、わたしは遊んでいました。それは、あらかじめ、楽しめることがわかっていたからです。



 

2013年2月3日日曜日

エディット・シュタイン

フッサール夫人はいいました。

「あなたはいつも思いつめた表情をしている。」

2013年1月14日月曜日

シモーヌ・ヴェイユ

この人も20世紀の信徒です。

兄上が数学で達成した整合性を、この人は思想と行動の一致において達成しました。

そのリゴリズムは我が身を燃やしつくす献身でありましたが、行動によって検証された思想は普遍的な価値をたたえています。

2013年1月7日月曜日

ベルクソンと教会

ベルクソンは、ある時期からカトリック教会への参加を希望していました。

しかし、彼は時が過ぎてもなかなか信徒になりません。

ここには明白に彼の意志が働いていて、彼はユダヤ人社会の人々を見捨てるわけにはいかなかったのです。

彼の晩年にかけての数十年は、ヨーロッパでもかなり厳しい情勢が続いていました。

2013年1月3日木曜日

ベルクソンとハイデッガー

どちらも人性の一般的なありようを生涯かけて追究した人なのですが、前者の著作は教会においては禁書扱い、後者の著作はカトリック陣営の哲学者の代表的営為としての扱いとなっています。

テイヤール・ド・シャルダン、カール・ラーナー、ハイデッガーとどう考えても表現の中にかなり尖鋭な批評感覚の反映が散りばめられています。しかし、基本はカトリシズムを踏み外していません。

ハイデッガーを評して師匠いわく、「老練なんですわ。古だぬきですね。」とのことでした。

2013年1月2日水曜日

ふまじめな決定論などは

ふまじめな決定論などというものは、もともと存在し得ません。

経済における決定論と宗教における予定調和論(2)

宗教の世界では予定調和の議論が欧州においてとりざたされました。

マックス・ヴェーバーがその価値を評価したことにより、資本主義前進の原動力に予定説、予定調和論が当てられても良いのだという考え方が社会学の中で生れました。

絶対者が、あらかじめ救済する対象を決定しているのだ、とする説です。

一応付言しておくと、カトリシズムの中には内包されないものです。

経済主義における決定論と宗教における予定調和論とは、互いに類縁関係にあります。


厳正なものです。それはある意味で人を容赦しません。

経済における決定論と宗教における予定調和論(1)

今日のシステム論と1980年代のシステム論とを比較して最も変化に乏しいのは如何なるパラダイムについてでしょうか。

それは、決定論についてです。

念入りに検証され洗練された理論および理論に基づいて形成された制度は、一定期間ののちに予定された成果をあげることになります。

また、決定「論」は、その予定された成果が予定どおりに挙げられることのみならず、理論および理論に基づいて形成された制度に対する全面の支持、達成への絶対的献身といった態度を測る基準にもなります。

決定論にとっての 類 例 が、我が国において自覚されたのは、所得倍増理論の成功のときだったでしょう。政府の予告通りのことが現実のものとなったものです。

しかし、我が国においては、決定論についての主調的議論はまず労働理論に関するものです。

毛沢東理論では、「固く、強く信じられ守られなければならない」というマニフェスト=宣言がなされました。

また、スターリニズムの時代に、最も激烈な決定論論議があったのも事実です。

それでは、日本ではどうであるのか。

日本の決定論は、各党派において少し性質を異にするのです。

そして、このことは教育の世界では教育理論に対する態度決定の在り方に濃淡を生んでいます。



 

戦争を抜きにして道徳教育を考えても

ねえ。

国防の必要から国家の安寧秩序のための価値規範のピラミッドを構築することが今性急に求められていますが、戦争体験を基本に伴わない議論は、手薄でかつ危険でしょう。

戦争とは平たく言えば国防の必要を持った者同士の殺し合いですから。

殺し合いの部分の現実を消去しないようにしないとならないでしょう。

支那事変

わたしの祖父はよく戦争の話をしていました。

どのルートを通ってどのように転戦したのか。

孫であるわたしは真面目に話を聞いていましたが、聞いていたとはいえ、これもまた良い聞き手であったとはいえなかったでしょう。

自分で調べ始めなければ、話の内容は了解されるには至らないのです。

でも、今ふと思いついたのですが、祖父にしても、師匠にしても、話し相手としては面白かったのかも知れません。わたしは、「生き証人」とでも呼んでいいようなさまざまなタイプの古老に会って昔の話を聴いていましたので。こちらの方は積極的にこちらから話しかけているのです。

2013年1月1日火曜日

戦時の記憶

わたしは、時々よみがえってくる師匠の戦時の記憶に、その追憶にしばしば付き合わされました。

このことは、時には理解の難しい話題であり、その際にはわたしは良い聞き役ではなかったかも知れません。ただ、ひたすら聞きました。

文学者でいうと加藤周一氏らの世代にあたるのでしょう。

戦後、平和や戦争について世代間の意見の相違や対立があるとき、この人々の上の世代、例えば小林、河上両氏らは、出征しておらず、それよりあとの大岡昇平、加藤周一、吉本隆明氏らは兵隊経験があり、さらにその後の世代にはそれがない、という三層構造は議論の推移にとっての根底的な動機、理由付けの材料として有形無形の影響を持っていました。

いま、同様の議論にとって必要な戦争体験者の声が薄れつつあり、すなわち三層が二層になりやがて一層に変わった段階で、はたしてわれわれは充分に平和あるいは戦争についての考察を行えるのか、という自問を必要としているのかも知れません。


深い傷跡と、信仰への道。それはまた別種の問題でありました。