2013年12月23日月曜日

仮説の不備

仮説の不備は、必ずしもそれを立てる者の怠慢を意味しはしません。

より進んだ研究をするためには、考察の基本となるモデルはできるだけ簡素であることが望ましいからです。

オートマトンの応用なども自己増殖の基本を簡素な再生機構に置いたからこそ、今日のような発展をみたとも言えるのです。

非線形のものを線形に近似させてみる。

複雑な条件を1,2個因子を排除したものにしてみる。

例えば、株の取引きの基本にもこれらのことは応用されていて、個人の直観を十分に補う方法となっているのです。

逆に現実の状況に対処しなければならなくなったときに、状況の説明は、わざと簡潔なものにせざるを得なくなります。例えば、2000年問題のとき、またペイオフ確定のとき、私たちは簡潔な情報によって構成された説明のコトバにしなければ、容易に情報を共有できませんでした。

仮説はもともと近似的なものであって、一切をカバーすることはできません。

今、わたしたちが置かれている経済的状況について、膠着している、硬直化している議論を突破するために、仮説の不備を補う形で新たな提案がなされ始めています。

ここに救いの道を探るよりほかはないように、私も思います。