2015年12月28日月曜日

グリモー氏によるバッハ=ブゾーニのシャコンヌ

You tubeにて視聴しました。

内省をはみだす意識の輝き。

光輝すなわち、生の相の概形です。

もう一歩すすむと、より簡素な意識の形相へと転ずるでしょう。

そのときを待っています。

2015年12月27日日曜日

Alina Rinatovna Ibragimova

Alina Rinatovna Ibragimova。

バッハのヴァイオリン協奏曲集を聴きました。

闊達な振る舞いです。

私は若い頃には、受け容れなかったかも知れません。

でも、今は、良いと思います。

2015年11月30日月曜日

大瀧詠一氏追悼

大瀧詠一氏の実験的営為の核心は人声が「音楽」を形成するのに必要な条件は何かを明らかにするものでした。

そこでは必ず新しいリズムとテムポが生成されたのです。

新規の形式を生まぬ創作はないものでした。

我々若い者は、あの声に聴き入りました。

しかし、音楽を形成する側は、音楽を聴かせたのです。

今になって思います。氏が信じていたものは何であったのかと。

氏は受容者の微笑みを、笑いを見越していたかったのではないか、と思うのです。

人を喜ばせたかったのではないか、と。

2015年11月29日日曜日

Sound Effectの存在

いわゆる効果音です。

すぐれた映像作品、ラジオ番組にすぐれたSound Effectが存在してきました。

その量と質とはあまりにも豊富で、われわれは、その総体を把握することができません。

SF作品の映像には、それにふさわしい音が使われてきたのです。

あとの時代に新たに生まれてくる音は、そのようなものの経験の上に立っているのです。

2015年11月28日土曜日

Alva Noto氏の新作

Xerrox, Vol. 3が届きました。

待望の新作です。

ところで、宇宙の音というもの宇宙音というものを我々は数限りなく耳にしてきていますが、実際のところ、宇宙の何に関する音が基礎となっているのでしょうか。

宇宙船の中での音の聞こえ方や、NASAで受信される音の聞こえ方。良く考えてみると、現象学的に音の実際を収集することを私は怠ってきています。

さて、Xerrox, Vol. 3は11曲。圧倒的な音です。

待った甲斐がありました。

2015年11月27日金曜日

そして枯木は不自然ではない

そして、尺八の音があります。

海童道宗祖。

枯木は不自然ではない。

そのように認識し、表現したものと思われます。

すべてがそこにあります。

2015年11月26日木曜日

アンドレイ・タルコフスキー『サクリファイス』の音楽

受難曲が用いられています。

そして、受難曲本来の意味を映像に添え書きします。

しかし、実は、このバッハにはもう一つの意味があります。

「自分は献身する」と宣言することは、あまり意味を持ちません。

あるいは、「自分は献身した」と独言することも、あまり意味を持ちません。

意味を剥奪された音は、自然を受容するのみです。

・・・・・・音は、意味をたたえ、そして、同時に意味を放棄するのです。・・・・・・

自身が消失したあとの段階を音は予兆します。

すると、非ロゴス的ロゴスの行方は?

Bon Appetit!

2015年11月25日水曜日

音はついに言葉ではない

亡父は運動生理学者でしたが、「音は言葉ではない」と言っていたことがあります。

評論を信用しないということでもありますが、別の意味もあったでしょう。

さて、ポスト=ポスト・ロックについても、やはり非ロゴス的ロゴス、が要所となります。

しかし、この言辞は、一見とっつきにくいものです。

音、文芸、認識論、宗教修行といった、かなり多くのものを背後に控えているからです。

さあ、音そのものへと還帰しましょう。

2015年11月24日火曜日

ポスト・ロックの反倫理性

ロックの反倫理性は、そのままの形式ではポスト・ロックに引き継がれませんでした。

ポスト=ポスト・ロックはさらに反倫理性を没却しています。

いま、クラシックから現代音楽への変化の歴史を思い起こしています。

そこには、セザール・フランクやアルバン・ベルクらによる不倫の音楽化などというささやかな抵抗はありますが、一般に反倫理性は、ほとんど存在しません。

両者の流れが交差する地点は、倫理の価値が振動する場です。

自爆する暴力主義者が、人々のために献身しているような「場」。

そこに感覚されているのはいかなる感情でしょう。

また、いかなる論理でしょう。

さらに、いかなる音でしょう。

2015年11月23日月曜日

ポスト=ポスト・ロック

目下、ポスト=ポスト・ロックについて検証中。

いままで、クラシック音楽から初めて、音の始原のありように還帰し、さらに音の可能性を探ってきました。

ロックンロールに関しても、その変化或は進展の形態は、いままで求めてきた音のありようと変わりますまい。どうもそのように思います。

2015年11月22日日曜日

1960年12月28日 ニューアーク モスク劇場

スヴァトスラフ・リヒテルのリサイタルの録音です。

まずハイドンに聴き入ります。50番ソナタです。

モーツァルト理解にも資する音です。

2015年11月19日木曜日

映画『人間の証明』の音楽

映画『人間の証明』の音楽は大野雄二氏によるものです。

公開当時は、映画館で観ることができませんでした。

社会人になってから観て、音楽が気に入りました。

2015年11月10日火曜日

リュック・ベッソン

ずいぶん多くの作品が我が国でも紹介され、紹介されるたびに観ています。

息の長い監督ですね。

2015年11月7日土曜日

河上、吉田師弟の連携

河上、吉田師弟の連携は、取り扱う概念の上では、河上氏がある場で寸言を呈し、その重要さを忘れない吉田氏が敷衍し、自由に暴れまわるという順序になります。

このコンビは前にも後にもない実力者コンビです。

さて、音の世界での接続では具体的にはどのようなことになるのか。

そんなことばかり考えてきました。

2015年11月6日金曜日

河上氏最後の発言

河上氏の最後の発言の中に、最近、現代音楽ばかり聴いているというものがあります。

氏の時間の用い方は、最後にそこに突き当たったのです。

諸井三郎氏らとのスルヤ時代に還帰したとも言えますが、そうではないかも知れません。

新たな道を切り開こうとする意識が活動を止めていないだけのことだったのではないでしょうか。

2015年11月5日木曜日

ある雑誌

別冊ele-kingポストロック・ バトルフィールド──「以後」と「音響」の文化誌〜A Culture Book for Post'n'Sound』。

これは面白かったです。ここから、聴いていなかった音源に向けて歩きはじめることができるのが楽しいですね。

2015年11月4日水曜日

レオニード・コーガンによるG線上のアリア

この音源の分析で時間が止まっていたはずです。

リヒテルVSモーツァルトよりも、レオニード・コーガンVSバッハの方がロシアの音作りの核心に迫る要素が際立っているのかも知れません。

バッハを演奏することと、バッハに牽引されることとは同値です。

ここらが基礎となるのですが、詳細は別論といたしましょう。

2015年11月3日火曜日

パヴェル・コーガン氏

指揮者パヴェル・コーガン氏はレオニード・コーガン氏の子息です。

お父上の演奏にはずいぶん学ばせてもらいました。

近々、氏の指揮による演奏を聴くことになっています。

とても楽しみです。

2015年7月20日月曜日

エリソ・ヴィルサラーゼ氏

コンサートを聴きにいきました。

リスト、モーツァルト、シューマンと満足しました。

このグルジアの人は学ぼうとする人に対しては、それが日本人であっても教師として相対してくれているようです。

感謝します。

2015年6月13日土曜日

詩を生きる

したがって、我々は、詩を生きることを標榜します。

2015年6月10日水曜日

詩は必要だ

詩は結局必要です。

言語による文化の伝達がある限り、詩は人間世界の実像を記録するばかりではなく、未来の社会像の可能性をも示して見せます。

これは良質の音楽についても言えることです。

2015年6月9日火曜日

詩は必要か

先達である大岡信氏は、「歌学」を家の学問として受け継いでいました。

これに対して、わたしたち信仰者は宗教の価値を受け継いでいるのです。

歌学に含まれる詩の世界の価値も大切なものですが、その大切な価値が存在しようとしまいと信仰の価値は生きています。

人が「生きている」ということと等価値の信仰の価値からみて、詩の価値がどのように把捉されるのか。これは、キリスト教の世界では詩篇の取り扱いをみないとわからないものです。

2015年5月7日木曜日

休暇へ。

今、2005年9月に思潮社から刊行された『戦後60年<詩と批評>総展望』を手にしています。

さらに10年がたとうとしています。

詩と批評、詩と真実。

わたしたちは、詩をいつわらず、真実をくらましません。

みなそうでしょう。

世に詩人はそうはいません。詩人という種族が滅んでしまわないうちに、詩を読みましょう。

2015年4月26日日曜日

ロシアNOW

ロシアNOW、のサイトを愛読しています。

http://mainichi.jp/sp/roshianow/

たのしいですね。

2015年4月24日金曜日

グールド・ストコフスキーの皇帝

グールドが主導するテムポと、ストコフスキー=アメリカ交響楽団の響き。

何か世のいとわしいものを払うようなすがすがしさです。

2015年4月12日日曜日

アルゲリッチ・クレーメルのクロイツェルソナタ

ご近所の方からCDをお借りしたので、試聴しました。

ピアノとヴァイオリンの呼吸があっていて、充分な音でした。

2015年4月3日金曜日

アルゲリッチのモーツァルト協奏曲

音楽喫茶で耳にしました。

このタッチは女流だ。でも誰だろう。

マスターがアルゲリッチです、と言いました。

若い時分、当時優れた録音だという評価があった、チャイコフスキーの協奏曲を聴きました。

数か所音がふきとんでいました。わたしはさらに何かを聴き取ることができなかったのです。

このモーツァルトは、あの音とは対極にあるものでした。すなわち、自身の心をみつめる作曲者の影です。

推薦します。

 

2015年3月22日日曜日

Борис Миколайович Лятошинський(ボリス・ミコライヨヴィチ・リャトシンスキー)のグラジーナ

標題の作品は交響的バラードと銘打たれています。

詩人Ада́м Бе́рнард Міцке́вич (アダム・ベルナルト・ミツキエヴィチ)の詩に由来するとのこと。

あいにく詩の参照はできず、音の推移に頼るのみですが、表現の狙いは叙景=叙情の2本立てで、すみずみまで対象を描出することにあろうと思います。

同じディスクに交響曲第1番の第2楽章があります。これは「叙情詩」という題が付されたものだったということ。

美しいものです。

ウクライナの音。キエフの音。ここに充分な集約を見ています。

at EX THEATER ROPPONGI 2013.12.21 続

もうオフィシャルな言葉は出さないようにしましょう。本稿のみで。

コンサート全体がさまざまな色彩の散りばめられた集合体となっているもので、細野氏坂本氏のデュオから、青葉市子氏、高橋幸宏氏、小山田圭吾氏、伊藤ゴロー氏、U-zhaan氏と共演者の紡ぐ音まで、音を拡大してみるとはっきりとしますが、音自体で安定し、アンサンブルで安定し、間が声によるものを除いて安定し、気遣いに満ちた完成品です。

声は、細野氏のつぶやき、青葉氏の呼吸音と空間を組み立て、同時に空間に溶け込んでいます。

楽器によって作られたテムポに対する「間のくずし」は、特に青葉氏において、聴く者の許容範囲を広く求めるものです。

この人の呼吸音に近い声と間は広く聴く者に受け容れられるでしょう。

(よくもこれだけの相手を前にくずしたなあ、と思います。)

わたしは、試しに少し大きめの音に直して、離れて聴いてみました。

声が音に溶け込んでいます。

ピアノの坂本氏が声に向けて、わずかにテムポを合わせているのです。これは秘密です。

2015年3月19日木曜日

2015年3月7日土曜日

Perpetual続報

Movement.2。

宇宙音は無機でしょうか有機でしょうか。

これは20世紀末の議論です。

電子音により宇宙の音が構成されるときに、人が関与する度合いが少なく感じられれば、無機性が高くなります。

ここで、本作ではコインが落ちるような生活音が入ります。

一気に相対化が進み、日常が傍らに現れます。

答えはいかがでしょう。

2015年3月4日水曜日

Perpetual

坂本龍一、Illuha、Taylor Deupree の3氏による「Perpetual」が届きました。

しばらく身をゆだねることになりそうです。

2015年2月26日木曜日

リヒテルのカーネギーデビューの熱情ソナタ

またひとつ2Blu-specCD2で出ました。

元の音が劣化しており、改善に苦しんでいるようです。

良い円盤を探すことも手であったかも知れません。

2015年2月22日日曜日

スタンコヴィチの交響曲第4番

弦が縦横無尽に鳴り響いてこれは名品となりました。

しばらく時間をかけて調べてみたいと思います。
 

2015年2月20日金曜日

Борис Миколайович Лятошинський(Boris Mikolayovich Lyatoshynsky)

ボリス・ミコライヨヴィチ・リャトシンスキーのCD3枚をNAXOSレーベルで購入しました。

交響曲第1から第5までです。

昨年の暮れに発注したのですが、問屋がクリスマス休みに入ってしまい、2月も今頃になったのです。

ウクライナの音を聴きます。また、イーヴェン・フェドロヴィチ・スタンコヴィチ(Євге́н Фе́дорович Станко́вич:Yevhen Fedorovych Stankovych)の1枚も確保しました。

ウクライナにもロシアにも平和を。