2013年1月14日月曜日

シモーヌ・ヴェイユ

この人も20世紀の信徒です。

兄上が数学で達成した整合性を、この人は思想と行動の一致において達成しました。

そのリゴリズムは我が身を燃やしつくす献身でありましたが、行動によって検証された思想は普遍的な価値をたたえています。

2013年1月7日月曜日

ベルクソンと教会

ベルクソンは、ある時期からカトリック教会への参加を希望していました。

しかし、彼は時が過ぎてもなかなか信徒になりません。

ここには明白に彼の意志が働いていて、彼はユダヤ人社会の人々を見捨てるわけにはいかなかったのです。

彼の晩年にかけての数十年は、ヨーロッパでもかなり厳しい情勢が続いていました。

2013年1月3日木曜日

ベルクソンとハイデッガー

どちらも人性の一般的なありようを生涯かけて追究した人なのですが、前者の著作は教会においては禁書扱い、後者の著作はカトリック陣営の哲学者の代表的営為としての扱いとなっています。

テイヤール・ド・シャルダン、カール・ラーナー、ハイデッガーとどう考えても表現の中にかなり尖鋭な批評感覚の反映が散りばめられています。しかし、基本はカトリシズムを踏み外していません。

ハイデッガーを評して師匠いわく、「老練なんですわ。古だぬきですね。」とのことでした。

2013年1月2日水曜日

ふまじめな決定論などは

ふまじめな決定論などというものは、もともと存在し得ません。

経済における決定論と宗教における予定調和論(2)

宗教の世界では予定調和の議論が欧州においてとりざたされました。

マックス・ヴェーバーがその価値を評価したことにより、資本主義前進の原動力に予定説、予定調和論が当てられても良いのだという考え方が社会学の中で生れました。

絶対者が、あらかじめ救済する対象を決定しているのだ、とする説です。

一応付言しておくと、カトリシズムの中には内包されないものです。

経済主義における決定論と宗教における予定調和論とは、互いに類縁関係にあります。


厳正なものです。それはある意味で人を容赦しません。

経済における決定論と宗教における予定調和論(1)

今日のシステム論と1980年代のシステム論とを比較して最も変化に乏しいのは如何なるパラダイムについてでしょうか。

それは、決定論についてです。

念入りに検証され洗練された理論および理論に基づいて形成された制度は、一定期間ののちに予定された成果をあげることになります。

また、決定「論」は、その予定された成果が予定どおりに挙げられることのみならず、理論および理論に基づいて形成された制度に対する全面の支持、達成への絶対的献身といった態度を測る基準にもなります。

決定論にとっての 類 例 が、我が国において自覚されたのは、所得倍増理論の成功のときだったでしょう。政府の予告通りのことが現実のものとなったものです。

しかし、我が国においては、決定論についての主調的議論はまず労働理論に関するものです。

毛沢東理論では、「固く、強く信じられ守られなければならない」というマニフェスト=宣言がなされました。

また、スターリニズムの時代に、最も激烈な決定論論議があったのも事実です。

それでは、日本ではどうであるのか。

日本の決定論は、各党派において少し性質を異にするのです。

そして、このことは教育の世界では教育理論に対する態度決定の在り方に濃淡を生んでいます。



 

戦争を抜きにして道徳教育を考えても

ねえ。

国防の必要から国家の安寧秩序のための価値規範のピラミッドを構築することが今性急に求められていますが、戦争体験を基本に伴わない議論は、手薄でかつ危険でしょう。

戦争とは平たく言えば国防の必要を持った者同士の殺し合いですから。

殺し合いの部分の現実を消去しないようにしないとならないでしょう。

支那事変

わたしの祖父はよく戦争の話をしていました。

どのルートを通ってどのように転戦したのか。

孫であるわたしは真面目に話を聞いていましたが、聞いていたとはいえ、これもまた良い聞き手であったとはいえなかったでしょう。

自分で調べ始めなければ、話の内容は了解されるには至らないのです。

でも、今ふと思いついたのですが、祖父にしても、師匠にしても、話し相手としては面白かったのかも知れません。わたしは、「生き証人」とでも呼んでいいようなさまざまなタイプの古老に会って昔の話を聴いていましたので。こちらの方は積極的にこちらから話しかけているのです。

2013年1月1日火曜日

戦時の記憶

わたしは、時々よみがえってくる師匠の戦時の記憶に、その追憶にしばしば付き合わされました。

このことは、時には理解の難しい話題であり、その際にはわたしは良い聞き役ではなかったかも知れません。ただ、ひたすら聞きました。

文学者でいうと加藤周一氏らの世代にあたるのでしょう。

戦後、平和や戦争について世代間の意見の相違や対立があるとき、この人々の上の世代、例えば小林、河上両氏らは、出征しておらず、それよりあとの大岡昇平、加藤周一、吉本隆明氏らは兵隊経験があり、さらにその後の世代にはそれがない、という三層構造は議論の推移にとっての根底的な動機、理由付けの材料として有形無形の影響を持っていました。

いま、同様の議論にとって必要な戦争体験者の声が薄れつつあり、すなわち三層が二層になりやがて一層に変わった段階で、はたしてわれわれは充分に平和あるいは戦争についての考察を行えるのか、という自問を必要としているのかも知れません。


深い傷跡と、信仰への道。それはまた別種の問題でありました。