2015年11月30日月曜日

大瀧詠一氏追悼

大瀧詠一氏の実験的営為の核心は人声が「音楽」を形成するのに必要な条件は何かを明らかにするものでした。

そこでは必ず新しいリズムとテムポが生成されたのです。

新規の形式を生まぬ創作はないものでした。

我々若い者は、あの声に聴き入りました。

しかし、音楽を形成する側は、音楽を聴かせたのです。

今になって思います。氏が信じていたものは何であったのかと。

氏は受容者の微笑みを、笑いを見越していたかったのではないか、と思うのです。

人を喜ばせたかったのではないか、と。

2015年11月29日日曜日

Sound Effectの存在

いわゆる効果音です。

すぐれた映像作品、ラジオ番組にすぐれたSound Effectが存在してきました。

その量と質とはあまりにも豊富で、われわれは、その総体を把握することができません。

SF作品の映像には、それにふさわしい音が使われてきたのです。

あとの時代に新たに生まれてくる音は、そのようなものの経験の上に立っているのです。

2015年11月28日土曜日

Alva Noto氏の新作

Xerrox, Vol. 3が届きました。

待望の新作です。

ところで、宇宙の音というもの宇宙音というものを我々は数限りなく耳にしてきていますが、実際のところ、宇宙の何に関する音が基礎となっているのでしょうか。

宇宙船の中での音の聞こえ方や、NASAで受信される音の聞こえ方。良く考えてみると、現象学的に音の実際を収集することを私は怠ってきています。

さて、Xerrox, Vol. 3は11曲。圧倒的な音です。

待った甲斐がありました。

2015年11月27日金曜日

そして枯木は不自然ではない

そして、尺八の音があります。

海童道宗祖。

枯木は不自然ではない。

そのように認識し、表現したものと思われます。

すべてがそこにあります。

2015年11月26日木曜日

アンドレイ・タルコフスキー『サクリファイス』の音楽

受難曲が用いられています。

そして、受難曲本来の意味を映像に添え書きします。

しかし、実は、このバッハにはもう一つの意味があります。

「自分は献身する」と宣言することは、あまり意味を持ちません。

あるいは、「自分は献身した」と独言することも、あまり意味を持ちません。

意味を剥奪された音は、自然を受容するのみです。

・・・・・・音は、意味をたたえ、そして、同時に意味を放棄するのです。・・・・・・

自身が消失したあとの段階を音は予兆します。

すると、非ロゴス的ロゴスの行方は?

Bon Appetit!

2015年11月25日水曜日

音はついに言葉ではない

亡父は運動生理学者でしたが、「音は言葉ではない」と言っていたことがあります。

評論を信用しないということでもありますが、別の意味もあったでしょう。

さて、ポスト=ポスト・ロックについても、やはり非ロゴス的ロゴス、が要所となります。

しかし、この言辞は、一見とっつきにくいものです。

音、文芸、認識論、宗教修行といった、かなり多くのものを背後に控えているからです。

さあ、音そのものへと還帰しましょう。

2015年11月24日火曜日

ポスト・ロックの反倫理性

ロックの反倫理性は、そのままの形式ではポスト・ロックに引き継がれませんでした。

ポスト=ポスト・ロックはさらに反倫理性を没却しています。

いま、クラシックから現代音楽への変化の歴史を思い起こしています。

そこには、セザール・フランクやアルバン・ベルクらによる不倫の音楽化などというささやかな抵抗はありますが、一般に反倫理性は、ほとんど存在しません。

両者の流れが交差する地点は、倫理の価値が振動する場です。

自爆する暴力主義者が、人々のために献身しているような「場」。

そこに感覚されているのはいかなる感情でしょう。

また、いかなる論理でしょう。

さらに、いかなる音でしょう。

2015年11月23日月曜日

ポスト=ポスト・ロック

目下、ポスト=ポスト・ロックについて検証中。

いままで、クラシック音楽から初めて、音の始原のありように還帰し、さらに音の可能性を探ってきました。

ロックンロールに関しても、その変化或は進展の形態は、いままで求めてきた音のありようと変わりますまい。どうもそのように思います。

2015年11月22日日曜日

1960年12月28日 ニューアーク モスク劇場

スヴァトスラフ・リヒテルのリサイタルの録音です。

まずハイドンに聴き入ります。50番ソナタです。

モーツァルト理解にも資する音です。

2015年11月19日木曜日

映画『人間の証明』の音楽

映画『人間の証明』の音楽は大野雄二氏によるものです。

公開当時は、映画館で観ることができませんでした。

社会人になってから観て、音楽が気に入りました。

2015年11月10日火曜日

リュック・ベッソン

ずいぶん多くの作品が我が国でも紹介され、紹介されるたびに観ています。

息の長い監督ですね。

2015年11月7日土曜日

河上、吉田師弟の連携

河上、吉田師弟の連携は、取り扱う概念の上では、河上氏がある場で寸言を呈し、その重要さを忘れない吉田氏が敷衍し、自由に暴れまわるという順序になります。

このコンビは前にも後にもない実力者コンビです。

さて、音の世界での接続では具体的にはどのようなことになるのか。

そんなことばかり考えてきました。

2015年11月6日金曜日

河上氏最後の発言

河上氏の最後の発言の中に、最近、現代音楽ばかり聴いているというものがあります。

氏の時間の用い方は、最後にそこに突き当たったのです。

諸井三郎氏らとのスルヤ時代に還帰したとも言えますが、そうではないかも知れません。

新たな道を切り開こうとする意識が活動を止めていないだけのことだったのではないでしょうか。

2015年11月5日木曜日

ある雑誌

別冊ele-kingポストロック・ バトルフィールド──「以後」と「音響」の文化誌〜A Culture Book for Post'n'Sound』。

これは面白かったです。ここから、聴いていなかった音源に向けて歩きはじめることができるのが楽しいですね。

2015年11月4日水曜日

レオニード・コーガンによるG線上のアリア

この音源の分析で時間が止まっていたはずです。

リヒテルVSモーツァルトよりも、レオニード・コーガンVSバッハの方がロシアの音作りの核心に迫る要素が際立っているのかも知れません。

バッハを演奏することと、バッハに牽引されることとは同値です。

ここらが基礎となるのですが、詳細は別論といたしましょう。

2015年11月3日火曜日

パヴェル・コーガン氏

指揮者パヴェル・コーガン氏はレオニード・コーガン氏の子息です。

お父上の演奏にはずいぶん学ばせてもらいました。

近々、氏の指揮による演奏を聴くことになっています。

とても楽しみです。