2015年11月26日木曜日

アンドレイ・タルコフスキー『サクリファイス』の音楽

受難曲が用いられています。

そして、受難曲本来の意味を映像に添え書きします。

しかし、実は、このバッハにはもう一つの意味があります。

「自分は献身する」と宣言することは、あまり意味を持ちません。

あるいは、「自分は献身した」と独言することも、あまり意味を持ちません。

意味を剥奪された音は、自然を受容するのみです。

・・・・・・音は、意味をたたえ、そして、同時に意味を放棄するのです。・・・・・・

自身が消失したあとの段階を音は予兆します。

すると、非ロゴス的ロゴスの行方は?

Bon Appetit!