2013年8月29日木曜日

シェーンベルク・ベルク・ウェーベルン

ヨハン・シュトラウスⅡ世の皇帝円舞曲、.南国のばら、酒・女・歌、わたしの恋人を十二音音楽三人衆が編曲しました。

1921年、フェライン・フュール・ムジカリッシュ・プリヴァート・アウフ・フュールンクは、予定していたコンサートのための歌手に逃げられました。

そこで、三人は、ヨハン・シュトラウスⅡ世のワルツを編曲して演目を変えた演奏会を開かざるを得なかったのです。

そこで生れた編曲集の演奏をマンフレート・ライヒェルト指揮のバーデン=バーデン合奏団が行ったものです。1977年の録音です。

面白くってしょうがありません。

2013年8月23日金曜日

クセナキス氏のヴィンドゥンゲン

これは、12のチェロ奏者のための作品です。

付された題は、積層、重ね合わせ、巻き込み、重ね込み、といった意味に置き換えられます。


まず旋律がリードし、次に総参加の音の収斂が起こります。

マジカルナンバー7プラスマイナス2といいますが、個別の聞き分けは成立しません。

音は不安をかきたて、やがて、ノイズ化して個々の頂点を少しずつずらして連続した呈示をみます。

ここで、注意すべきなのは、複数の平均して維持される音量の中でインディケーターが振り切りっ放しになることです。

各自の最高点が次々と現れるのです。

わたしはセラミックスピーカーで確認しました。

最終部の展開まで一気呵成です。

音源:Die 12 Cellisten der Berliner Philharmoniker(1981、Telefunken)
 
 
    IANNIS XENAKIS : Windungen(1976)für 12 Violoncellisten

伊東静雄氏「曠野の歌」続き

これを連嶺の夢想を核とする叙景の形式を借りた叙情詩だとするのが、よくある判断です。

しかし、叙景と叙情が半々でもなく、これを叙情の装いを借りた叙景詩であるとすると、すっきりすると思うのです。

徹底した白雪を叙景する。

これが地上の価値の定着なのではないでしょうか。

2013年8月21日水曜日

伊東静雄氏「曠野の歌」

曠野の歌


わが死せむ美しき日のために
連嶺の夢想よ! が白雪を
消さずあれ
息ぐるしい稀薄のこれの曠野に
ひと知れぬ泉をすぎ
非時ときじくの木の実るる
隠れたる場しよを過ぎ
われの播種く花のしるし
近づく日わが屍骸なきがらを曳かむ馬を
この道標しめはいざなひ還さむ
あゝかくてわが永久とはの帰郷を
高貴なるが白き光見送り
木の実照り 泉はわらひ……
わが痛き夢よこの時ぞ遂に
休らはむもの!
(青空文庫より)

今、『富士山の文学』(久保田 淳著)を角川文庫で読んでいます。

わたしは、伊東静雄氏が『万葉集』の「時じくそ 雪は降りける」からの美しい連携として、曠野の歌を組んだとしても面白いと考えていたのを思い出しました。