2013年6月12日水曜日

アサフィエフの説明

『ロシヤの音楽』は、ところどころ、驚くべき解釈を示していて、驚かされます。

いままで、或る曲の持つ意味、或る音楽家の或る態度についてうすうす感じていたことの意味、それらの鮮やかな読み解きが見られるのです。

2013年6月10日月曜日

たった一つの注意書き

「アサフィエフは『パリの炎』の中で、フランス革命期にまで遡る、伝統のメロディーを応用しました。」

これが、パリを再現した工夫の中心でした。そして、その場面にふさわしい情景描写を、音楽を助けとして実現させることは、当然のことだったのです。

その頃のパリにいるような体験を観客にしてもらうこと。これは音による奉仕精神です。

2013年6月9日日曜日

ヴィゴツキーの軛

ヴィゴツキーには、活動に対する制約が幾つかありました。
そのうちの一つは、彼が真理の追究者であったのに対し、当時の学問の世界、社会、政府は、これら三者それぞれにとって必要な価値基準にかなう研究内容しか流通することを認めようとしなかったことです。

いま彼の没後80年近くたって、この歴史的制約は一切存在しません。

それで?

この四半世紀のあいだ、わたしは、わたしたちにとって必要な対象が、今は存在しない彼の視野の延長上に切り開かれることを前提に、さまざまな領域にわたる数多くの対象の点検を積み重ねてきました。

とても充実していたと思います。

大抵の場合、追究の対象とその対象の分析から導き出されるなにものかは、時系列にそってあとからやってきます。

しかし、世間の時の流れとは相違して、先に、その対象の分析から導き出されるべきなにものかが、その形姿をあらわすことがありました。

ここがヴィゴツキアンにとっての独特の現象です。



 

2013年6月4日火曜日

音楽教育のために

アサフィエフの立論です。

小さな命題です。

「学校の教科として音楽を考えるとき、さし当り音楽理論の問題をきっぱりと捨てて、音楽とは芸術である。

つまり人間の創り出した世界の中のある現象であって、学習し研究する学問ではないと言わなければならない。」(柴田義松氏訳)

そして、それは子どもたち、若い人たちが、さまざまな感想を音、音楽に対して持つことを見守ります。

知と情。
 

2013年6月3日月曜日

アサフィエフの論陣

この人物は批評家でした。

そして、新しい音楽また同時により理想的な真の音楽の創造を目指しました。

バレエの世界は、しきたりと革新とのないまぜになっている現場です。

そこで、常に前進しようとし続けたことが、ロシア革命後の時代において、アサフィエフの論説に強い意味を与えました。

現代音楽、の創造は時代に対する抵抗、人々にとっては奇異な存在であることさえあります。

ところが、アサフィエフの思想は、「インサイダー」のものと化したのです。

盟友プロコフィエフの音楽の特徴にも、この逆転を透視することができます。

2013年6月2日日曜日

ボリス・アサフィエフ

アサフィエフの作曲したコンチェルティーノの録音をドレスラー氏のクラリネットとペトルシャンスキー氏のピアノによる協演で聴きました。

アサフィエフは劇場の音楽監督をつとめていました。リヒテルも劇場付きのピアニストから始めましたし、ムラヴィンスキーも劇場の指揮者でした。

コンチェルティーノは「協演」の粋です。そして、この音ならば、もしリヒテルが演奏に参加したら、例えばオイストラフとの協演に類する演奏になるのならば、例の対比奏法を爆発させるだろうと思いました。

というよりもロシアの音が、しかも国際派のアサフィエフの音が、元から劇的対比を求めているのです。

良い勉強になりました。