2013年12月22日日曜日

フッサールの前に

フッサールの前に、「生きている私」を基軸とする空間があります。

この空間はフッサールという生きている人間によって知覚される限りでの空間です。

私は現象学的心理学を用いる教育学を視野に入れていたので、こちらに関する考察は省きます。

情報に関する研究ではまず仮説としてのニューラルネットワークを構成します。

この過程で人はどのように学習するかが問題となります。こちらはコネクショニズムです。

さて、第一にニューラルネットワークに関する議論では、「生きている私」は捨象されます。

第二にコネクショニズムではニューラルネットワークの構成の過程で捨象された複雑な=未解明な=かっこでくくられた条件は再考されません。

第三に内的過程を重視する研究ではその内的過程への社会的因子の関与も省略されます。

第四に社会的因子の関与の排除によって内的過程の矛盾の過程の考察が重視されません。

我が国の教育学が1970年代以降一見反転しているかのように見えるのには、以上の4つの条件が関わっています。

これだけなら教育の世界だけの問題で済みました。

ところがこれが原因で、経済的破綻を招くとは、20世紀の間には多くの人間は予想できなかったのです。