2013年12月29日日曜日

公文俊平氏『情報社会学序説』4

読者各自の経験的知識から、関数の近似を補正したり否定したりするような「そうではない」項の提出をみる場合、どのようなことが具体的に考えられるでしょう。

「環境」の対象化のスタンスについての問題。

ハーディングとザックスとの間には今道博士らによる「エコエティカ」があります。

公文氏は現代の環境学の見解にハーディングを乗り越える契機を見出します。

しかし、その見解は環境ー経済学です。

ザックスらもまた、「公平」の概念を用いて富の均衡の平準化の可能性を計測します。

しかし、その見解もまた環境ー経済学です。エコエティカは崩壊しています。

かつて丸山眞男氏が『日本の思想』(岩波新書)の中でササラ型とタコツボ型との比較を比喩的に打ち出しました。これに倣うと情報社会学の世界におけるササラ型の情報交換=悲劇がここに認められると言えるでしょう。

政策施策の文法の問題。

政策施策には独自の文法が保持されています。たとえば、我が国においては、福祉的概念の打ち出しは、時の政権が保革いずれの存在であっても、まず保守の側から為されます。

厚生省、厚生労働省時代のはざまで介護の概念が対社会の普及施策のベルトコンベアーの上に乗りました。最初に基本概念が小さく讀賣新聞の紙上に現れます。そして少し時間をおいて各紙が後を追います。これらを受け取る側は初動のきざしを受け取り損なわないようにする必要があります。

情報社会学の世界におけるタコツボ型の情報交換=悲劇がここに認められると言えるでしょう。