吉田氏は武満氏を広く紹介したいのです。
そこで、禁欲的な自己規制という言葉を音楽に当てたのは、おそらく氏の武満人物観の結晶の表現なのでしょう。
でも、音を聴いてください。
例えば、ピアノ・ディスタンスは、高橋悠治氏のピアノ演奏にかかるものです。
音はいつものように丸く、穏やかな基調です。そこに細音、太音、高音、低音が散らされていて、真の特徴は音と音との間にある「間(ま)」にあります。
そこで透かされて見えてくるのは、日本の音、文楽、能、浄瑠璃、筝曲等のすべての集合から、作曲者が見抜いた数々の特徴から、さらに選ばれた音と間なのです。
それが、奏者のタッチの鮮烈さで増幅されるのです。音と間とが一体化されて増幅されるといってよろしいのです。
あとは受容者の側が、何を聴きとり、己の耳と心とをどこに落着させるかです。
厳しい、とストラヴィンスキーが感覚したのは、作曲姿勢ではなく、曲の特徴でしょう。
それは、おそらく選ばれた「和」の音楽の持つある特徴をさらに鮮烈に研ぎ澄ました音だったに相違ありません。
良い音を聴かせてもらいました。
そこで、禁欲的な自己規制という言葉を音楽に当てたのは、おそらく氏の武満人物観の結晶の表現なのでしょう。
でも、音を聴いてください。
例えば、ピアノ・ディスタンスは、高橋悠治氏のピアノ演奏にかかるものです。
音はいつものように丸く、穏やかな基調です。そこに細音、太音、高音、低音が散らされていて、真の特徴は音と音との間にある「間(ま)」にあります。
そこで透かされて見えてくるのは、日本の音、文楽、能、浄瑠璃、筝曲等のすべての集合から、作曲者が見抜いた数々の特徴から、さらに選ばれた音と間なのです。
それが、奏者のタッチの鮮烈さで増幅されるのです。音と間とが一体化されて増幅されるといってよろしいのです。
あとは受容者の側が、何を聴きとり、己の耳と心とをどこに落着させるかです。
厳しい、とストラヴィンスキーが感覚したのは、作曲姿勢ではなく、曲の特徴でしょう。
それは、おそらく選ばれた「和」の音楽の持つある特徴をさらに鮮烈に研ぎ澄ました音だったに相違ありません。
良い音を聴かせてもらいました。