「変化と慌しいのは従って対立する二つのものとも考へられる。どういふものでも、或はどういふことでも目立てば意識の平常の流れを乱すから慌しくてそれ故に新しいものばかりを追つてゐる人間は忙しい思ひをする。又目立つ程まだ新しいものは一般の変化並になるに至つてゐない変化であるからその形も定まつてゐなくて新しいことがそれが未完成である証拠になる。
併しモツァルトの音楽はそれが作られた時には新しいものに響いたに違ひない。」
このあとにモーツァルトの音楽の本質の一端が説かれている。それは省略。
少しあとで、こうある。
「詩も充実も詩人も世界で普通に行はれてゐる変化を乱さない点ではモツァルトの音楽と変りがない。」
さらに少し離れてこうある。
「モツァルトとショパンでそれが作つたものが何れも音楽であることに掛けて変りはなくてただ同じ音楽である上で違ふに過ぎずその違ひは聞いてゐれば解つてその何れも我々にとつて価値をなしてゐる。又それは自分の心を預けるに足りるといふことで或る種の光線を受けた山肌も我々の心を奪ふ。」
併しモツァルトの音楽はそれが作られた時には新しいものに響いたに違ひない。」
このあとにモーツァルトの音楽の本質の一端が説かれている。それは省略。
少しあとで、こうある。
「詩も充実も詩人も世界で普通に行はれてゐる変化を乱さない点ではモツァルトの音楽と変りがない。」
さらに少し離れてこうある。
「モツァルトとショパンでそれが作つたものが何れも音楽であることに掛けて変りはなくてただ同じ音楽である上で違ふに過ぎずその違ひは聞いてゐれば解つてその何れも我々にとつて価値をなしてゐる。又それは自分の心を預けるに足りるといふことで或る種の光線を受けた山肌も我々の心を奪ふ。」