2012年1月24日火曜日

春風のことば

釈宗演氏の若いころに、肇法師絶叫のくだりに相当の時間を費やしたという。

城門の外にまで声がきこえた。

それは何であったのか、というものだ。

公案として与えられたものではない。


さて、軍人の揮毫に、もしいたらないところがあるとすれば、それはそれだ。

しかし、誤解の仕方の中に、日本語の理解の仕方の典型があるのだ。

言霊、は飛躍であり補填であって、じかに歴史の魂に推参する。

それは悪くない。


いかがですか。