解釈者は、自分自身のテンポで演奏する。
フルトヴェングラーによるブランデンブルク3、5番が対象となったときに、指揮者が演奏し得るスピードの範囲内で、バッハと指揮者との共演がもたらす音がそこにあることを確認できる。
次は、バッハが何を考えていたか、ということだ。
この作曲者の思考過程をたどることが、必ず、次の次元で立ち現われる。
おおむね、バッハの音の解説書の純良なものは、この第二段階に多少なりとも触れる。
けれども、その「読者」は、どのようにたどっているのか。
ここが、出発点だった。
フルトヴェングラーによるブランデンブルク3、5番が対象となったときに、指揮者が演奏し得るスピードの範囲内で、バッハと指揮者との共演がもたらす音がそこにあることを確認できる。
次は、バッハが何を考えていたか、ということだ。
この作曲者の思考過程をたどることが、必ず、次の次元で立ち現われる。
おおむね、バッハの音の解説書の純良なものは、この第二段階に多少なりとも触れる。
けれども、その「読者」は、どのようにたどっているのか。
ここが、出発点だった。