2012年1月6日金曜日

システムの蹉跌とシステム論の蹉跌

文化に関する価値は、すでにその検分以前に揺れている。

文化的価値の定義こそが、揺れている価値、という由来においてなされているとも考えられる。

1980年代には、時代が好況であったために、経済論の花盛りであった。

イギリスの立場やドイツの立場が透けてみえる、すると日本の立場も比較して考えられる。

考え始める地点が、ブレアであってもサッチャーであっても、ベルリンの壁が崩れる前であっても後であっても、経済的価値は通貨であり労働であって、文化的価値に比べればはるかに安定した価値であるから、考えはじめることはできたしできる。

イギリスが島国の立場で安定を継続できなければ、日本もまたできない。

ドイツが勤勉な労働に徹する機関として外からの評価を維持できなければ、日本もまたできない。
いやこちらの方は、勤勉な労働の価値に絶対的な誇りを持つことが認められないのならば、何の市場であるか、と言い換えてもよい。そのような市場が市場ならば、消滅するがいい。

我らは日々の仕事に戻ろう。ヴェーバーの言に従って。