2012年2月13日月曜日

林達夫氏は

「生のエレギアをうたうものはないか」と求めた。

エレギア=哀歌は、生のエレギアであれば、かならずしもエレギアの俗な形式をたどる必要はないのではなかろうか。

エレギアが、世の生の事実をより深く掘り下げ、同時にそこにはない在るべき何物かを描出するのであれば、それは楽しげであったって構わない。

フィクションがフィクションであるということが、つまり非・事実であるということが、生のエレギアにあっては、別の意味をクローズアップさせる。

「事実と真実は相異なり、非・事実が真実を指し示すことがある。」

悲劇を研究した古典学者ニーチェを棍棒で殴って、正気にもどさせるようなものだ。