2013年11月17日日曜日

検証と根拠

検証も大切ですけれども、本当に大切なのは「根拠」を持っていて、それを示すことができることです。
 
自分に残された時間では、自信をもってやれる仕事をしていきたいと思います。
 
本領発揮といったところです。
 
今まではいろいろと制約があって、そんなわけにはいきませんでしたから。
 
 
 

2013年11月2日土曜日

科学による検証

教育科学の世界では、とにかく今やっていることの確認が必要となります。

そして、そのためには確認するために用いる理論が先に存在していなくてはなりません。

今やっていることは、教育に関する行為であれば、いかなるものもそれ自体既に意味のあるものですが、さらにその行為と理論との相関について考えていなくてはなりません。

この「考えていなくてはならない」ことが一度始めるとやめられません。

性にあっているのでしょう。

2013年9月24日火曜日

教材としてのテキスト

文学の世界での表現は、読者に読まれ、理解されることを前提として存在しています。

もし、理解しにくい読者がいるのならば、その理解を助けることが教育行為(教授行為)の大切な機能となります。

これはテキストを読み込み可能なものに変化させることと同等です。

また、交換可能なものに変化させると言い直しても良いです。

2013年9月23日月曜日

還元の方法

解釈学、現象学、分析哲学、記号論、意味論。

この5つの路線がありました。

1985年

説明の相手によって、説明の仕方も内容も多少変化します。

教職員予備軍の人々向けといたしましょう。

1985年に研究者仲間の間で意見交換の場がもたれました。ちょうどわたしは小林秀雄氏の『感想』研究を終えたところだったので、次に何をやるか決めかねていた頃でした。

当時東京大学の中で隆盛だったシステム論の中でどの部分を受け持つかということだったのです。

友人の一人が、「君は関心の対象と表現の方法にほかの者にはない特徴があるから『テキストの読み込み可能なものの集約』をやったらどうか」と言いました。

このことを少しかみくだいて説明すると、通常日本語でつづられているテキストは、そのままの形式では、一般的な式に還元できないのです。記号化、英語化できないといってもよいでしょう。

また、日本語による表現の含む比喩の働きには、まだ解明されていない内容があるのです。特に文壇と呼ばれる我が国の表現世界でのギルドには独特の隠されたルールがあって、それを知らないと、文字通りの表面上の意味しか把握できません。

端的には「批評の意味がわからない」という具体的な現象を招くことになります。これはプロの文筆家でもあちらこちらで誤りをおかしているもので、批評の批評は難しい、という結果をもたらしています。

ここからの出発でした。

2013年9月18日水曜日

プロコフィエフのフルートとピアノのためのソナタ

マリーナ・ヴォロシュツォーヴァとリヒテルとの演奏です。

美しいものです。

2013年9月13日金曜日

アルヴォ・ペルトの『フラトレス』

BSの番組でオーストラリア室内管弦楽団の演奏でやっていました。

ペルトの演奏も徐々にひろがってきました。

親和性の問題でしょう。