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2021年8月27日金曜日
2021年8月11日水曜日
中間目標が欲しい
8月31日の感染状況は、2週間前の8月17日の現況の反映により確認されるだろう。
いままで、おのおのの学校は、細心の注意をはらい環境衛生の維持を図って、何とか夏休み期間に突入したものと考えられる。
しかし、このあいだに株の悪性の度合いが変化してきた。家庭内感染は学童の親の世代である20歳代、30歳代のひとびとの感染状況に影響されるかも知れない。
新学期において、より厳しい環境衛生管理が求められるなか、なにか中間目標が欲しい。
うら盆会期間の市民諸氏の自重を求めたいところ。
また、せめて、20代、30代のひとびとがワクチン接種にいたるまで粘り続けたい。
It's a long way to La Salle high school
It's a long way to La Salle high school, It's a long way to go.
It's a long way to La Salle high school, To the brightest spot we know.
We come from Hakodate(Kagoshima), come from ev'rywhere.
It's a long long way to La Salle high school, But our heart is there.
We've a good time at La Salle high school, We've a good time yo! ho!
We've a good time at La Salle high school, Such a splendid place you know.
We boys from Hakodate(Kagoshima), boys from ev'rywhere.
We've a good good time at La Salle high school. And our heart is there.
2021年8月8日日曜日
2021年8月6日金曜日
チャイコフスキー記念国立モスクワ音楽院100周年記念CD
リャードフ 音楽玉手箱/ソフロニツキー (1951.11.21)
プロコフィエフ=フィヒテンホルツ バレー音楽「シンデレラ」より冬の妖精/オイストラフ&シュライプマン(1951.11.20)
リスト タランテラ/ギンズブルク(1952.10.23)
シチェドリン ピアノ協奏曲第1番より/シチェドリン&ロジェストヴェンスキー(1954.6.1)2021年8月3日火曜日
2021年7月25日日曜日
マリア・ユーディナによるチャイコフスキー協奏曲
この曲は、ロシアの古くからある俗謡をもとにできたものです。
したがって、既知の価値がそこにあると前提して、曲の構成を「アンソロジー」の形式に集約して見せてよいのです。作曲者の意図がそこにあったかどうかは不明ですが、演奏家における解釈は、そうあることができます。
ユーディナさんは、解析的に音を並べます。そして、楽団のテムポに合わせるところでは合わせています。遅速変化の統御が、ソリストの工夫の中心です。
ナタン・ラフリン指揮キエフ・フィルでした。
2021年7月21日水曜日
マリヤ・ユーディナによるバッハ、モーツァルト
早くから仮説があって、モーツァルトをバッハのように弾いているのではないか、と考えていました。
このたび、まとまってモーツァルトの音源を確かめることができて、それは肯定されました。
ところが、バッハに立ち返ると、バッハはモーツァルトのように弾かれています。
従って、ユーディナ氏の奏法は、両者のあいだに礎があることがわかります。
2021年7月19日月曜日
ミケランジェリによるモーツァルト20番協奏曲
1988年の心臓発作で倒れたのちに、復帰の際の曲として用いました。うたいながら練習し、実際に公演に臨みました。
晩年には、できるだけモーツァルトを弾きたい、と考えていたようです。
リヒテルによるバルトーク協奏曲
岩城宏之指揮フランス放送国立管弦楽団です。
この録音は、彫心鏤骨のものであったといいます。なお、リヒテルには、バッハの協奏曲のリハーサル風景が映像で残っていますが、これは静かなものでした。
1930年の作曲。演奏は1967年。世界にもバルトークの名が民族音楽の大家として知れ渡っていたときです。
したがって、民族性とともに、そこには新しい潮流が音として体現されなくてはなりません。この演奏家に求められる義務が、確固たる音の成果を「そこに」呈しているのが、一切の結果であり、始めとなります。
2021年7月18日日曜日
2021年7月15日木曜日
モーツァルトのピアノ協奏曲21番の第2楽章
ここには、「還ってきた」という実感がいつもわきます。
ひとは、ブラームスの交響曲第1番の第4楽章にそれを求めることもあるでしょう。
あるいは、ドヴォルザークの新世界交響曲の調べにそうすることもあるでしょう。
アンダンテ・カンタービレの人もあるでしょう。
わたしは、この第2楽章が好きなのです。いま、リパッティ、カラヤン、ルツェルン音楽祭楽団で、聴いています。聴く機会を得てよかったです。
2021年7月13日火曜日
2021年7月11日日曜日
1ケ所で、リヒテルを賞賛するルフェビュール
これは、内実を確認したかったところです。両者はずいぶん異なります。
ルフェビュール、リパッティ、フランソワ。
ちなみに、アントルモンのことをリヒテルは否定していました。ここからは別の話になりましょう。
2021年7月5日月曜日
ギレリスのシューマン「アラベスク」
わたしの師匠は、ギレリスの演奏が国際派、という俗称を得ていたことを、当然の評価であると考えていました。ベルギー、カナダ、アメリカをめぐって修道生活をしていた人物ですので、自らの経験と知識とに基づく判断でしょう。
このシューマンの録画は、アラベスクというヨーロッパ中心主義の否定的契機の表出である曲を、「ロシアの」立場から「ロシアにおける異国情緒」の感覚を残して演奏することに該当するのでしょう。タタール主義への感覚です。
面白いです。
2021年7月4日日曜日
2021年7月2日金曜日
棋戦譜
棋譜は、反転させることができます。しかし、これは本物の反転ではありません。このことは、楽譜にある音符を逆行するときにも同じことが言えます。時代は変わっていて、録音をさかさまにたどることが可能ですが、音の列は音符の順に楽譜通りに反転させても、ニセモノの反転にしかなりません。
アンドレイ・タルコフスキーは『鏡』を創作するときに、このことに気が付いていたはずです。そして、より直接の認識は、セルゲイ・エイゼンシュテインにおいて得られていたはずです。