2020年5月20日水曜日

商返しのつづき

アナール学派のように、原点の原物の実際に回帰させましょう。開墾された土地は耕作に用いられます。
農耕のための土地はどのように使われ、それは、今日に生きる我々の感覚とどのように異なるものだったのか。
まず、米の種類が、白米ではなく、古代米、例えば赤米や黒米であった可能性があります。これらの特殊なコメは今日においては米作に関する祭祀の際に、神への供物になることさえあります。
次に、耕作を行う土地の神聖さについて。古事記のスサノヲは田の畔を破壊し、溝を埋め、神殿に汚物をまきます。どうもこれらは当時の最大の罪悪の具体的な列挙らしく思われます。
したがって、開墾者から他人の手にわたるケガレが、もともと神聖な土地そのものの神聖さに影響しない可能性があります。
開墾者およびその子孫などの関係者への後戻りが、「開墾」の行為つまり、神聖な土地を創造する行為への報償であるとすれば、これももともと神聖な土地そのものの神聖さの維持継続に関係する可能性があります。
とまあ、特別扱いをする類の価値判断がなされる可能性を挙げる考察を試みたことがあります。
でも、ここでは、二律背反は二律背反のままで、変成と同一性との混在ととらえる方が手柄が大きいと思います。無論、西田哲学の絶対矛盾的自己同一ではありません。