2014年8月2日土曜日

教師が子どもに

教師が子どもに弾き方を教えるときに、「〇〇のように」弾く、柔らかく弾く、といったコトバが用いられます。

これは、形式としては「例え」に属するコトバです。

しかし、弾き方を教授するときには、実質的指示を意味するコトバです。

教授効果が認められるので世界中で用いられています。

さて課題があります。

第一に、コトバはコトバであり、決して音ではありません。

第二に、子どもが教師の指示を教師の意図する通りに理解した場合、そこに再現される音とは何を意味するものであるかということです。

前者については、以前徹底して考えたので省略します。

後者については、古賀メロディーの悲哀表現をギターと歌詞とで再現する子どもや、コルトレーンの枯淡の表現を再現する子どもの例があります。つまり、悲哀なのか悲哀もどきなのか、枯淡なのか枯淡もどきなのか、です。

でも、モーツァルトが神童とみなされた理由の一端には、高い演奏技術があったといいます。

渋い表情でジャズを奏でる子どもの演奏家が、悲哀のような枯淡のような音をもたらしても、それは、「かのような」の範囲内で成立する価値です。「かのような」でもふつうはあまりありえないことなので、神童、と評価されるのです。