定家氏が百首を集めたのは趣味の範囲の内であるのだろうか。
それならば、ふすまにはろうが、びょうぶにはろうが、自分の山荘で何をやっても自由なことだろう。
趣味人が自由にやっていた選択を、他人が持ち出した。
例えば宮澤賢治氏の手帳から「雨ニモ負ケズ」が公開されたように。
それならば、そもそも百人の選び方がどうのこうのと語る方がおかしい。
歌人にとっては、歌を取り扱うのが仕事であった。
そういう専門家が趣味で(もしかしたらね)集めたことが、官撰並みに受け取られて、千何百年たっても、読まれる。
子どもにまで読まれる。
そのことがよいのだ。