定家氏は自分の山荘で百人一首を選んだのではないか、と思われているそうだ。
選ぶ作業を行ったのが小倉山だから小倉百人一首。
ま、わからぬ。
選ばれたうたは、当時把握できる限りでの古代以来の「秀歌」が選ばれたのか。
それとも定家氏好みの百首が選ばれたのか。
そのいずれが主であるのだろうか。
百首のうち三人が天皇、五人が院。
しかし、この院の面々は、どうも晩年が不可ない。
平安、鎌倉初期のなまなましい政争の影が消えていないころに、あえて院のうたをも百首の中に盛り込んだ。
だから、比較的、世の中のことを気にしない、公平な判断だといえるのか。
あるいは、世の中に配慮して、そのときそのときの主流派、反主流派のいずれをも含む、という意味での公平さなのか。
歌の持つ価値、力しだいで政治とは関係のない歌の世界だけでの自律的判断をしたのか。
下手な、あるいは面白くはない歌であっても詠み人の選人を優先させたのか。
知れぬことだ。
知れぬことだが、ここをおいて、我邦の文化がどうのこうのといってもはじまらぬ。